書庫87081
はやし浩司
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●家庭内暴力

 子どもの家庭内暴力に悩んでいる人は多い。福岡市に住む、TEさんから、それについての
相談のメールをもらった。

 子どもは、高校1年生。男子。学校では、成績もよく、優等生ということになっている。が、5歳
年上の姉に、暴力を振るう。そのことが理由で、姉が、今度、アパートを借りて、別居すること
になったという。

 はげしい家庭内暴力は、別として、何らかの感情のハケ口として、家庭内で、子どもが、だれ
かに暴力を振るうというケースは、少なくない。たいていは母親が攻撃対象になる。このタイプ
の子どもは、外の世界では、おとなしく、(いい子)であることが多い。

 つまり外の世界で、良好な人間関係を結べず、そしてさらにその結果として、慢性的な抑うつ
感がたまり、子どもは、突発的に家庭内で、暴力を振るうようになる。心理的には、「うつ病」の
一形態と考えるのが、一般的である。

 このタイプの子どもの暴力の特徴としては、(1)外の世界では、(いい子)であることが多い。
先生の指示には従順で、集団の中では、どちらかというと、おとなしい。(2)良好な人間関係が
結べず、外の世界では、仮面をかぶったり、がまんしたりすることが多い。(3)突発的に、暴れ
たり、暴力を振るったりする。かんしゃく発作のように、突発的に激怒して、叫んだり、ものを投
げつけることもある。

 そんな中でも、とくに注意しなければならないのは、(4)何を考えているか、わからなくなると
いうこと。

 初期段階としては、感情の表現が鈍化し、一見、静かでおとなしくなる。しかしその一方で、
心がつかみにくくなり、何を考えているか、わからなくなる。喜ばせようとしても、喜ばない。不
愉快に思っているはずなのに、それを顔に出さない、など。

 このタイプの暴力には、明確な一線がある。暴力といっても、子ども自身が、心のどこかで限
界をもうける。だから、つまりはギリギリのところまでは暴力を振るうが、その一線を超えること
はない。

 原因は、ここにも書いたように、外の世界で、良好な人間関係を結べないことと考えてよい。
そしてさらにその原因はといえば、乳幼児期の母子関係の不全とみてよい。あるいは親(とくに
母親)の溺愛、過干渉、過関心などが原因となることもある。

 「ウッセー! このヤロー。オレを、こんなオレにしやがってエ!」と、母親を足蹴りにしていた
子ども(中学男子)がいた。

 その子どものばあい、小学3、4年生くらいまでは、「静かで、おとなしい子ども」(母親の言
葉)だった。

 外の世界で、自分をあるがままに、(さらけ出す)ことができない。そのため、心は、いつも緊
張状態におかれる。仮面をかぶったり、(いい子)ぶるのは、あくまでも、その結果と考えてよ
い。

 そしてその結果として、つまりは、そうしてたまりにたまった、抑圧状態を解放させるため、家
庭内で暴力を振るうようになる。その暴れ方が、どこか狂人的であるため、家の人は心配した
り、悩んだりするが、「狂人」ではない。まずそれをしっかりと、理解する必要がある。

 私はこのタイプの子どもに、ある種の二重人格性を感ずる。暴れていながらも、別の子ども
がどこかにいて、それをコントロールしている。そんな感じがする。だから子どもが暴れたら、
親は、もう一人の子ども(道理がわかり、すなおな子ども)に、ていねいに話しかけるようにする
とよい。

 「今は、本当のあなたではないのよ」と。

 もちろん抜本的な原因追求と、その是正も必要である。高校1年生といえば、受験にまつわ
る重圧感に苦しむ年齢でもある。子どもの心の中では、不安と心配が、うずを巻いている。そう
いうものから受けるストレスが、子どもの心をゆがめているとも考えられる。

 こうした家庭内暴力は、子ども自身の自己意識が高まれば、表面的には消える。そういう意
味では、一過性のものだが、しかしそれでこうした問題が解決されるわけではない。

 ここにも書いたように、もともとは良好な人間関係が結べない子どもとみるため、おとなにな
ってからも、繰りかえし、症状が現れることがある。妻や子ども、反対に夫や子どもに、突発的
に暴力を振るうケースも、少なくない。
 
 そこで早期発見、チェックテスト。

【家庭内暴力型子どもの早期診断テスト】

(  )学校での様子(評価)と、家の中での様子(評価)が、おおきくちがう。
(  )学校では、おとなしく、いい子。しかし家の中では、横柄、乱暴、態度が粗雑。
(  )集団教育が苦手。運動会や遠足を楽しまない。ときにいやがる。

(  )どこか母親対子どもの関係が強く、父親不在の子育てをしてきた。
(  )親の前でも、言いたいことを言ったり、したいことをしなかった。
(  )一見、がまん強い子どもに見えたが、その実、生活態度がよく乱れた。
(  )ときどき、何を考えているか、わからないときがある。感情の表現が鈍化した。

(  )カーッとなると、興奮状態になり、手がつけられないことがあった。
(  )キレた状態になると、すごみ、まるで人が変わったかのようになることがある。
(  )ときどき、沈んだり、何かのことでクヨクヨ悩んだりする。

 この質問項目のほとんどに当てはまるようなら、要注意。こうした状態に、受験勉強の重圧、
さらに思春期の不安定要素が重なると、子どもの心は一気に、緊張状態におかれる。そしてそ
の結果として、ここでいう家庭内暴力に走ることも少なくない。

 ……と、きわめて大雑把(ざっぱ)に考えてみたが、全体としてみると、家庭内暴力を起こす
子どもは、ほかの精神的障害(引きこもり、摂食障害、回避性障害)を示す子どもよりも、予後
がよい。適切な対処の仕方さえ守れば、短期間ですむことが多い。

 対処法については、また別のところで考えてみたい。
(はやし浩司 家庭内暴力 診断テスト 早期発見)




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●さらけ出し

 北海道にお住まいの、YSさんより、こんな相談をもらった。
 「うちの子(小5男子)は、集団活動が苦手です。集団活動になれさせるには、どうしたらいい
ですか」と。

 「サッカークラブもいや。運動会も嫌い。遠足も行きたくないと言います」と。

++++++++++++++++++

 「さらけ出し」については、もう何度も書いてきた。そこで、ここでは、私自身の子ども時代につ
いて書いてみる。

 私は、家の中では、結構、わがままな子どもだったと思う。しかし外の世界では、いつも何か
に、じっと耐えていたような感じがする。

 たとえば私は毎日、真っ暗になるまで、近くの寺の境内で遊んでいた。そこでのこと。私は、
追いかけたり、追いかけられたりしながら、走り回るのは、好きだった。しかし、どうしても好き
になれない遊びが、一つ、あった。

 だれかが空き缶を蹴る。その空き缶が蹴られた間だけ、みなは逃げて、身を隠す。鬼(おに)
になった子どもは、隠れた仲間をさがして、「○○君、見つけ!」と言って、空き缶を踏む。

隠れんぼうの一種だが、ほかの子どもは、スキを見て、その空き缶を蹴る。あるいは、鬼よりも
早く、空き缶のところにやってきて、空き缶を蹴る。するとそれまでに鬼につかまった仲間も、
いっせいに、逃げることができる。

 その遊びの、名前は忘れた。しかし私は、どういうわけか、その遊びだけは、好きになれなか
った。しかしその遊びだけ、ぬけるわけにはいかなかった。私は、その遊びになると、言いよう
のない重圧感を覚えた。こわいというより、いやだった。

 そういうとき、「ぼくは、したくない」とはっきり言えば、それなりに自分の心を軽くすることがで
きたかもしれない。しかし私には、それが言えなかった。

 ……という視点で、子どもたちの世界を見ると、日常的に同じようなことが起きているのを、
知る。

 遊びにせよ、勉強にせよ、いつも何かにじっと耐えているような子どもがいる。楽しまないとい
うより、こちらの用意する「輪」の中に、入ってこない。心のどこかで拒絶しながら、それでいて、
従順に従ってしまう。

 一般的には、「心の開けない子ども」とみる。そこで何らかの方法で、その子どもが、自分の
心をさらけ出せるようにしむける。方法としては、どっと笑わせるのがよい。しかし学年が進め
ば進むほど、子どもの心は、ますますかたくなになる。がんこになる。一時的には笑っても、す
ぐまたもとに戻ってしまう。

 そこで私自身は、どうだったのかと考える。

 私は、もともと、他人に対して心を開くことができないタイプの子どもだった。仮面をかぶり、
愛想のよい子どもを演じてはいたが、心の中は、いつも孤独だった。

 しかしそれに気づいたのは、私が40歳を過ぎてからではなかったか。そういう自分を、本気
でなおそうと考えたのは、50歳を過ぎてからではなかったか。

 いわんや、子どもに、「みなに、心を開きなさい」「いやだったら、いやだと言えばいい」などと
いっても、わかるはずがない。当時の私を思い出しても、私は私だったし、私に問題があるな
どとは、思ってもみなかった。いわんや、さらにその原因が、私と母との間の、母子関係にあっ
たとは、知る由もなかった。

 で、北海道のYSさんからの相談だが、こうしたケースでは、無理をすればするほど、逆効果
ということ。すでにYSさんの子どもは、小学5年生になっている。思春期も近い。「なおそう」と
考える時期は、もうとっくの昔に、終わっている。

 では、どうするか?

 私の経験で言えることは、そういう子どもであると認めた上で、その子どもにあった方法で、
これからのことを考えるしかないということ。もっとわかりやすく言えば、「うちの子は、集団教育
が苦手」と思って、あきらめる。

 多くの親は、「集団訓練の中にほうりこめば、子どももなれるはず」と考えるが、そんな単純な
問題ではない。ないということは、私自身の子ども時代を思い出してみても、わかる。

 あえて言うなら、どこかで、子ども自身が、自分をさらけ出せるように、しむけること。ワーッと
声を出させたり、笑わせるのがよい。しかしそれも、もうこの時期になると、一時的な効果しか
ない。そういう前提で、気長に考える。

 だれにでも、得意、不得意はある。子どもを伸ばすコツは、得意分野をどんどんと伸ばし、不
得意分野には目をつむる。「一つや、二つ、苦手なことがあってもいいではないか」と、そういう
大らかさが、子どもを伸ばす。


●運動

 今日は、家のフェンスをなおすことにした。予算は、一万円。浜松市の北にある、「J」という大
型DIY店へ行って、材料をそろえる。

 防腐剤加工をした木材と、セメントを買って、しめて9800円。ここまではうまくいった。が、そ
れからがたいへんだった。セメントの袋だけで、20キログラム。それに木材。1・8メートルの板
を14枚に、丸太の支柱など。

 家へ帰ってくるころには、もうそれだけでヘトヘト。15年前には、山荘の土木工事のほとんど
をした、私が、である。

 「体力がなくなったなあ」とこぼすと、ワイフも、「ホント。あなたも弱くなったわね」と。

 しかたないので、1時間ほど、休息をかねて、昼寝。

 で、それから作業開始。

 フェンスの修理そのものは、2時間ほどですんだ。が、それにしても、ものすごい疲労感。

 そこで一念発起。夕食をすますと、ハナ(犬)と、散歩に行くことにした。「こんなことに負けて
たまるか」という思いが、私をそうさせた。

 私は自転車に乗り、ハナをひもで制御する。そして1時間ほど、近くの山坂を走り回る。ほど
よい汗が、体中からにじみ出てくるのがわかる。

 家に帰ってから、ワイフとこんな話をする。

私「やはり、自転車だと、疲れないよ」
ワ「体が、そうできているのね」
私「お前だって、テニスだといいかもしれないが、ソフトだとだめかもしれないよ」
ワ「そうね」と。

 私が疲れたのは、重い荷物を運んだから。その部分の筋肉は、使ったことがない。しかし自
転車は、疲れなかった。むしろ気持ちよかった。それは毎日、その部分の筋肉を、鍛えている
から。

 人間の体というのは、どうやら、そういうものらしい。

 脳ミソについても、同じことが言える。私のばあい、こうして文章を書くのは、苦痛ではない。
英語で文章を書くのも、それほど苦痛ではない。しかし翻訳となったとたん、ものすごい重圧感
を覚える。なぜか。

 それは恐らく、日本語から英語、英語から日本語への連絡網が、すでにサビついてしまって
いるからではないか。

 50歳を過ぎると、こういう現象が、頻繁(ひんぱん)に起こるようになる。つまりそれだけ、柔
軟性をなくすということ。これも、老化現象の一つと考えてよい。言いかえると、いかにして、体
と脳ミソを鍛えていくかということ。それを、50歳前から始めておく必要がある。

 つぎの60代になったは、また考え方が変るかもしれない。それに、さらに体力が、弱くなる。
そのとき、私はどうなっているのか。あるいは今から、どうやってそれを予想し、予防したらよい
のか。

 できあがったフェンスを、道路から、ワイフと見あげながら、私は、そんなことを考えた。
(040401)



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●子どもの部屋

●家の間取り

 九州に住んでおられる、FKさんより、家の間取りについての相談を受けた。「建築設計士を
している友人から、相談を受けた。子どものしつけを考えると、家をどんな間取りにしたらいい
か」と。

 基本的は、子どもが、一度は、家族全員が集まる部屋を通って、自分の部屋に行けるような
間取りにすること。

 まずいのは、子どもが、家族の目が届くこともなく、(外)から、(自分の部屋)に、直行できる
ような間取りにすること。極端な例としては、(そういう家は少ないと思うが)、子ども部屋だけ
に、別の出入り口をつけることがある。

 そこで間取りの基本は、

 (外)→(家族全員が集まる部屋)→(子ども部屋)とすること。

 家族全員が集まる部屋というのは、居間であったり、台所であったりする。その部屋を中心
に考え、その居間や台所を通らないと、子どもが自分の子ども部屋に行けないようにする。

 私も息子たちが大きくなって、家を増築したとき、この点に気を配った。20畳程度の居間兼
台所と、その二階部分に、子ども部屋を二つ用意した。

 そのときのこと。アイデアは、二つあった。

 一つは、

 (外)→(廊下)→(階段)→(子ども部屋)という考え方。

 もう一つは、

 (外)→(廊下)→(居間兼第所)→(階段)→(子ども部屋)

 最大のポイントは、「階段をどこにつけるか」だった。廊下につければ、子どもたちは、私たち
の目にとまることなく、(外)と(子ども部屋)を、自由に行き来できる。

 しかし居間兼台所の中につければ、子どもの出入りを、いつも見ることができる。

 それで最終的には、居間兼台所の中に、階段をつけることにした。(いろいろ設計上、問題
はあったが、そうした。)

 その結果だが、それから15年以上。今から思うと、あのときの判断は正しかったと思う。子
どもたちが大きくなり、友だちをつれて出入りするときも、一度は必ず、私たちの目の前を通ら
なければならなかった。

 私とワイフは、そういう動きを見ながら、子どもたちが、どんな友人と、どんなことをしている
か、かなり正確に知ることができた。

 そうでなくても、子どもが大きくなると、会話が少なくなる。交流も、減る。だからこそ、物理的
な方法で、つまり自然な形で、親子が触れあう機会を用意するのは、とても大切なことだと思
う。

 家の間取りは、そういう意味で、重要なポイントとなる。

 そこでいくつかのポイントを、箇条書きにしてみる。

(1)子どもが子ども部屋へ行くとき、必ず、家族の前を通っていくようにする。
(2)子ども部屋は、できるだけ二階に用意する。
(3)子ども部屋は、採光がポイント。日当たりのよい部屋で、窓を大きくする。
(4)皆が集まる、居間や台所を、家の中心に置く。

 なお、子ども部屋の間取りについては、今までに書いた原稿を、ここに添付する(地元タウン
誌発表済み)。

++++++++++++++++++++

●子どもの部屋

 以前、高校の図書室で、どの席が一番人気があるかを調べたことがある。

結果、ドアから一番離れた、一番うしろの窓側の席ということがわかった。

子どもというのは無意識のうちにも、居心地のよい場所を求める。その席からは、入り口と図
書室全体が見渡せた。このことから、子ども部屋について、つぎのようなことに注意するとよ
い。

D机に座った位置から、できるだけ広い空間を見渡せるようにする。ドアが見えればなおよ
い。ドアが背中側にあると、落ち着かない。

E棚など、圧迫感のあるものは、できるだけ背中側に配置する。


F光は、右利き児のばあい、向かって左側から入るようにする。窓につけて机を置く方法もあ
るが、窓の外の景色に気をとられ過ぎるようであれば、窓から机をはずす。

G机の上には原則としてものを置かないように指導する。そのため大きめのゴミ箱、物入れな
どを用意する。

 多くの親は机をカベにくつけて置くが、この方法は避ける。長く使っていると圧迫感が生じ、そ
れが子どもを勉強嫌いにすることもある。

 また机と同じように注意したいのが、イス。イスはかためのもので、ひじかけがあるとよい。フ
ワフワしたイスは、一見座りごこちがよく見えるが、長く使っているとかえって疲れる。

また座ると前に傾斜するイスがあるが、たしかに勉強中は能率があがるかもしれない。しかし
そのイスでは、休むことができないため、勉強が中断したとき、そのまま子どもは机から離れて
しまう。

一度中断した勉強はなかなかもとに戻らない。子どもの学習机は、勉強するためではなく、休
むためにある。それを忘れてはならない。
 
子どもは小学三〜四年生ごろ、親離れをし始める。このころ子どもは自分だけの部屋を求め
るようになる。部屋を与えるとしたら、そのころを見計らって用意するとよい。それ以前につい
ては、ケースバイケースで考える。

++++++++++++++++++++

ついでに、子どものプライバシーは、どのように
考えたらよいか。それについて書いたのが、つぎ
の原稿である。この原稿は、中日新聞に掲載して
もらったが、かなり反響のあった原稿である。

++++++++++++++++++++

●逃げ場を大切に

 どんな動物にも最後の逃げ場というものがある。動物はこの逃げ場に逃げ込むことによっ
て、身の安全を確保し、そして心をいやす。人間の子どもも、同じ。

親がこの逃げ場を平気で侵すようになると、子どもの情緒は不安定になる。最悪のばあいに
は、家出ということにもなりかねない。

そんなわけで子どもにとって逃げ場は、神聖不可侵な場所と心得て、子どもが逃げ場へ逃げ
たら、追いかけてそこを荒らすようなことはしてはならない。説教をしたり、叱ったりしてもいけ
ない。

子どもにとって逃げ場は、たいていは自分の部屋だが、そこで安全を確保できないとわかる
と、子どもは別の場所に、逃げ場を求めるようになる。A君(小二)は、親に叱られると、トイレ
に逃げ込んでいた。B君(小四)は、近くの公園に隠れていた。C君(年長児)は、犬小屋の中
に入って、時間を過ごしていた。電話ボックスの中や、屋根の上に逃げた子どももいた。

 さらに親がこの逃げ場を荒らすようになると、先ほども書いたように、「家出」ということにな
る。

このタイプの子どもは、もてるものをすべてもって、家から一方向に、どんどん遠ざかっていくと
いう特徴がある。カバン、人形、おもちゃなど。D君(小一)は、おさげの中に、野菜まで入れ
て、家出した。

これに対して、目的のある家出は、必要なものだけをもって家出するので、区別できる。が、も
し目的のわからない家出を繰り返すというようであれば、家庭環境のあり方を猛省しなければ
ならない。過干渉、過関心、威圧的な子育て、無理、強制などがないかを反省する。激しい家
庭騒動が原因になることもある。

 が、中には、子どもの部屋は言うに及ばず、机の中、さらにはバッグの中まで、無断で調べ
る人がいる。しかしこういう行為は、子どものプライバシーを踏みにじることになるから注意す
る。

できれば、子どもの部屋へ入るときでも、子どもの許可を求めてからにする。たとえ相手が幼
児でも、そうする。そういう姿勢が、子どもの中に、「私は私。あなたはあなた」というものの考え
方を育てる。

 話は変わるが、九八年の春、ナイフによる殺傷事件が続いたとき、「生徒(中学生)の持ちも
のを検査せよ」という意見があった。しかしいやしくも教育者を名乗る教師が、子どものカバン
の中など、のぞけるものではない。

私など結婚して以来、女房のバッグの中すらのぞいたことがない。たとえ許可があっても、サイ
フを取り出すこともできない。私はそういうことをするのが、ゾッとするほど、いやだ。

 もしこのことがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。あるいはあなたが子ども
のころを思い出してみればよい。あなたにも最後の逃げ場というものがあったはずだ。またプ
ライバシーを侵されて、不愉快な思いをしたこともあったはずだ。それはもう、理屈を超えた、
人間的な不快感と言ってもよい。自分自身の魂をキズつけられるかのような不快感だ。

それがわかったら、あなたは子どもに対して、それをしてはいけない。たとえ親子でも、それを
してはいけない。子どもの尊厳を守るために。
(はやし浩司 家の間取り 子ども部屋 プライバシー 子どもの尊厳 家出)
(040401)




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●カルト

●カルトの布教番組

 昨夜(4・3)、心霊写真についてのテレビ番組を見た。見たというより、チャンネルをかえてい
たら、目に飛びこんできた。それで見るともなしに、しばらく見てしまった。

 実にくだらない番組だった。

 私が垣間見た部分では、ちょうど、こんな写真を取りあげていた。

 一人の女性(20歳くらい)が、どこかへ旅行に行ったときのこと。そのときとった、スナップ写
真の顔に、黒いシミが現れていた。そのシミは、鼻の、向って右側から、ほおの右側部分にま
で、広がっていた。

 それはたしかに、不気味な写真だった。

 で、いつもの、霊媒師のような女性が登場して、実にもっともらしく、こう説明していた。

 「これは、この女性の家の仏壇に、ほこりがたまっていることが原因で起きた現象です。この
女性の家、もしくは実家の仏壇の清掃をすれば、こうしたシミは消えます。墓参りも、きちんと
するように」(記憶に基づいて書いたので、不正確)と。

 まったくもって、「?」な回答だった。

 多分、その写真は、デジタルカメラか何かでとったものだろう。もしそうであれば、顔に塗った
化粧品に、カメラが、特殊な反応をしたことが考えられる。あるいはひょっとしたら、その女性
は、UV(紫外線)カットクリームか何かを使っていたためかもしれない。

 フィルムカメラでも、同じような反応を示すことがある。

 どちらにせよ、こうしたインチキな情報を流す前に、テレビ局側は、現場やカメラ、そのときの
状況を検証すべきである。科学的な検証もしないまま、一方的に、霊媒師の説明だけを、全国
に報道するというのは、きわめて危険な行為といってもよい。

 現にその番組の中では、4〜5人の小学生たちが、コメンテイターとして(?)、それぞれの意
見を述べていた。春休み中の番組ということで、子どもたちを並べたのだろうが、そんなこと
は、許されるべきことではない。その子どもたちは、その番組を見て、どのような死生観をもつ
だろうか。それを考えたとき、私はむしろ、そちらのほうに、ゾッとした。

 だいたいにおいて、仏壇にほこりがたまったくらいで、死者が、(霊なら霊でもよいが)、生き
ている人の顔写真に、そんな細工などしない。実に、低劣。くだらない。お粗末。バカげている。

(もし、そうなら、その根拠を示せ!)

 その霊媒師は、霊を尊重しているフリをしているが、その実、死者を、そして人間を、とことん
バカにしている。この文明国、日本にあって、そして21世紀にもなった、今、こうした人間が、
堂々と出てきて、こういう意見を述べること自体、私には信じられない。

 そういう人間をテレビに登場させて、意見を言わせるテレビ局側も、テレビ局側である。まさ
にカルトの布教番組と言ってもよい。あるいは、どこがどうちがうというのか。

 ここではっきりと、確認しておきたい。

 この世には、心霊写真などというものは、存在しない。今では、映像技術によって、どんな映
像でもできる。そこらの素人でもできる。それに可視光線だけが、(見える世界)ではない。カメ
ラやフィルムは、見えない光線にも反応する。冒頭にあげた、黒いシミなどは、その一例と考え
てよい。

 こういうアホな下地を、一方でつくるから、あのOM真理教のような、わけのわからない教団
が、つぎからつぎへと生まれる。テレビ局側も、少しは、自分たちのしていることに対して、もう
少し責任を自覚してほしい。
(はやし浩司 心霊写真)



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●テレビの悪影響

 こんなショッキングな報告がなされた。

「乳幼児期にテレビを多く見た子供ほど7歳の時に集中力が弱い、落ち着きがない、衝動的な
どの注意欠陥障害になる危険性が大きい、との調査報告が、米小児科学会機関誌『ペディアト
リックス4月号』に掲載された。報告は、乳幼児のテレビ視聴は制限すべきだと警告している」
(協同・中日新聞)と。

 「テレビの1日平均視聴時間は1歳で2・2時間、3歳で3・6時間。視聴時間が1時間延びる
ごとに、7歳になった時に注意欠陥障害が起こる可能性は、10%高くなっていることが判明し
た」(ワシントン大学(シアトル)小児科学部のディミトリ・クリスタキス博士ら。1歳と3歳の各グ
ループ、計2623人のデータを分析)とのこと。

 これを読んだとき、まず最初に頭に思い浮かんだのは、私自身が、ほぼ4年前に書いた原稿
(中日新聞投稿済み)である。

 以前にも、何度もマガジンにとりあげた原稿だが、それをそのまま掲載する。

+++++++++++++++++++++

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。

頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一
貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔
をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感
情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほ
うがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。

気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、こ
こ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人に二人はいる。

今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、そ
れだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒
ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一
名以上いる」と回答している。

そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九〇%以上
の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)
などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五
二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」
(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ
の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず
る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。

「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なく
なった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味も
なく突発的に騒いだり暴れたりする。

そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子ど
もを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていた
のがわかる。

ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているとき
は、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。

たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきり
なしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。

その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くこと
ができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮
城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。

一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどる
のは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲーム
は、その右脳ばかりを刺激する。

こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えてい
ることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということに
なる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

++++++++++++++++++++

 この原稿を中日新聞で発表したとき、反響は、ほとんど、なかった。つまりまったく相手にされ
なかった。無視された。

もっともこの日本では、私のような、無肩書き、無権威のものが、こういうことを言っても、相手
にされない。そういうしくみが、もうできあがっている。

 しかしアメリカから来た情報となると、みなが、飛びつく。そしてことさら大発見でもしたかのよ
うに、驚き、騒ぐ。

が、だからといって、私がひがんでいるというのではない。もうとっくの昔に、あきらめた。……
という話は、ここまでにして、私は、改めて、こう思う。

 乳幼児には、不自然な刺激は、与えないほうがよい、と。与えるとしても、慎重にしたらよい。

 よい例が、『ポケモン事件』である。アニメのポケモンを見ていた全国の子どもたちが、光過
敏性てんかんという、わけのわからないショックを受けて倒れてしまった。

 1997年の終わりの、12月16日(火曜日)の夜のことであった。

 人気番組『ポケモン』を見ていた子どもたちが、はげしい嘔吐と、けいれんを起こして倒れてし
まった。

その日の午後までにNHKが確認したところ、埼玉県下だけでも、59人。全国で382人。さら
に翌々日の18日には、その数は、0歳児から58歳の人まで、750人にふえた。気分が悪くな
った人まで含めると、1万人以上!

 中には、大発作を起こした上、呼吸困難から意識不明になった子ども(5歳児、大阪)もい
た。「酸素不足により、脳障害の後遺症が残るかもしれない」(大阪府立病院)とも。

 当初は、「原因不明」とされたが、やがて解明された。

 「テレビのチラツキではないか」(テレビ東京の広報部長)ということから、光過敏性てんかん
という言葉が浮上した(はやし浩司著「ポケモン・カルト」より)。

 この一例からもわかるように、脳の反応には、まだ未知の部分が多い。未解明の部分といっ
てもい。人間は、数十万年という長い年月を経て、ここまで進化してきた。しかしそれは自然の
変化に歩調を合わせた、ゆるやかな進化だった。

 が、人間を包む環境は、ここ50年、100年、急速に変化した。人間の脳が、そうした変化
に、不適応を起こしたからといって、何ら不思議なことではない。その一つが、ここでいうテレビ
ということになる。

 私はこの34年間、幼児の変化を、間近で見てきた。その経験だけでも、子どもたちが、大き
く変化したのを感じている。三段跳びに結論を急ぐが、「乳幼児に与える刺激には、慎重に」と
いう結論は、そうした経験から引きだした。

 私の本音を言えば、「そら、見ろ!」ということになるのだが……。
(はやし浩司 光過敏性てんかん ポケモン事件 乱舞する脳 テレビの悪影響 ポケモンカル
ト)
(040405)

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静岡県教育委員会発行「ファミリス」08年4月号より






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●三つの自己中心性

 自己中心性は、それ自体が、精神の未発達を意味する。(精神の完成度は、他人への同調
性、他人との協調性、他人との調和性で知ることができる。自己中心性は、その反対側に位
置する。)

 つまり自己中心的であればあるほど、その人の精神の完成度は、低いとみる。

 これについては、もう何度も書いてきたので、ここでは、その先を書く。

 この自己中心性は、(1)個人としての自己中心性、(2)民族としての自己中心性、(3)人間
としての自己中心性の三つに、分かれる。

 たとえば、「私が一番、すぐれている。他人は、みな、劣っている」と思うのは、(1)の個人とし
ての自己中心性をいう。つぎに「大和民族は、一番、すぐれている。他の民族は、みな、劣って
いる」と思うのは、(2)の民族としての自己中心性をいう。そして「人間が宇宙の中心にいる、
唯一の知的生物である」と思うのは、(3)の人間としての、自己中心性をいう。

 この中でも、一番、わかりやすいのは、(3)の人間としての、自己中心性である。

 しかし人間は、宇宙の中の、ゴミのような星に、かろうじてへばりついて生きている、つまり
は、(カビ)のような生物にすぎない。だれだったか、少し前、(地球に張りつく、がん細胞のよう
なもの)と表現した人もいる。

 (だからといって、人間がつまらない生物だと言っているのではない。誤解のないように!)

 たとえば、今、私たちの視点を、宇宙へ置いてみよう。すると、ものの見方が、一変する。

 この広大な宇宙には、無数の銀河系がある。そしてそれぞれの銀河系には、これまた無数
の星がある。その数は、浜松市の南にある、中田島砂丘にある、砂粒の数より多いといわれ
ている。(実際には、その数は、わからない?)

 太陽という星は、その中の一つにすぎない。

 で、私たちが住む、この地球は、その太陽という星の、これまたチリのような惑星に過ぎな
い。

 これが現実である。疑いようもない、現実である。

 こういう現実を前にして、「人間が宇宙の中心にいる、唯一の知的生物である」と言うのは、
実にバカげている。

 で、こういう視点で、こんどは、民族としての自己中心性を考えてみる。……と、考えるまでも
なく、民族としての自己中心性は、実にバカげているのが、わかる。こんな小さな地球上で、大
和民族だの、韓民族だの、さらには、白人だの黒人だのと言っているほうが、おかしい。

 さらに、個人の自己中心性となると、バカげていて、話にならない。

 そこで話をもとにもどす。

 宇宙的視点から見ると、細菌とアメーバの知的レベルが、私たち人間には、同じに見えるよ
うに、人間とサルの間には、知的レベルの差は、まったくない。人間は、「自分たちはサルとは
違う」と思っているかもしれないが、まさにそれこそ、人間が、人間としてもっている自己中心性
にすぎない。

 人間としての完成度は、人間が、他の動物たちと、どの程度までの同調性、協調性、調和性
をもっているかで決まる。

たとえば森に一本の道を通すときでも、どの程度まで、そこに住む、ほかの動物たちの立場で
ものを考えることができるかで、その完成度が決まる。「ほかの動物たちのことは、知ったこと
か!」では、人間としての完成度は、きわめて低いということになる。

 さらに話を一歩進めると、こうなる。

 私たち人間は、バカである。アホである。どうしようもないほど、未熟で、未完成である。「万
物の霊長類」などというのは、とんでもない、うぬぼれ。その実体は、まさに畜生。ケダモノ。

 そういう視点で、私たちが自らを、謙虚な目で、見なおしてみる。たとえば人間としての、欠
陥、欠点、弱点、盲点、そして問題点を、洗いなおしてみる。少なくとも、私たち人間は、(完成
された動物)ではない。そういう視点で、自分を見つめてみる。

 つまりは、それこそが、人間としての自己中心性を打破するための、第一歩ということにな
る。

【追記】

 『無知の知』という言葉がある。ソクラテス自身が述べた言葉という説もあるし、ソクラテスに
まつわる話という説もある。どちらにせよ、「私は何も知らないということを知ること」を、無知の
知という。

 ソクラテスは、「まず自分が何も知らない」ということを自覚することが、知ることの出発点だと
言った。

 実際、そのとおりで、ものごとというのは、知れば知るほど、その先に、さらに大きな未知の
分野があることを知る。あるいは新しいことを知ったりすると、「どうして今まで、こんなことも知
らなかったのだろう」と、自分がいやになることもある。

 少し前だが、こんなことがあった。

 子ども(年長児)たちの前で、カレンダーを見せながら、「これは、カーレンジャーといいます」
と教えたら、子どもたちが、こう言って、騒いだ。「先生、それはカーレンジャーではなく、カレン
ダーだよ」と。

 で、私は、「君たちは、子どものクセに、カーレンダーも知らないのか。テレビを見ているんだ
ろ?」と言うと、一人の子どもが、さらにこう言った。「先生は、先生のくせに、カレンダーも知ら
ないのオ?」と。

 私はま顔だったが、冗談のつもりだった。しかし子どもたちは、真剣だった。その真剣さの中
に、私はソクラテスが言ったところの、「無知」を感じた。

 しかしこうした「無知」は、何も、子どもの世界だけの話ではない。私たちおとなだって、無数
の「無知」に囲まれている。ただ、それに気づかないでいるだけである。そしてその状態は、庭
に遊ぶ犬と変らない。

 そう、私たち人間は、「人間である」という幻想に、あまりにも、溺れすぎているのではない
か。利口で賢く、すぐれた生物である、と。

 しかし実際には、人間は、日光の山々に群れる、あのサルたちと、それほど、ちがわない?
 「ちがう」と思っているのは、実は、人間たちだけで、多分、サルたちは、ちがわないと思って
いる。

 同じように人間も、仮に自分たちより、さらにすぐれた人間なり、知的生物に会ったとしても、
自分とは、それほど、ちがわないと思うだろう。自分が無知であることにすら、気づいていない
からである。

 何とも話がこみいってきたが、要するに、「私は愚かだ」という視点から、ものを見ればよいと
いうこと。いつも自分は、「バカだ」「アホだ」と思えばよいということ。それが、結局は、自分を知
ることの第一歩ということになる。
(はやし浩司 ソクラテス 無知の知)




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●子どもの読解力

 子どもの読解、理解力のテスト法として、よく知られているのに、田中ビネー知能検査法があ
る。これは簡単な文章を読んで聞かせ、どこがどのようにおかしいかを、子どもに言い当てさ
せるテスト法である。

 著作権の問題もあるので、ここでは、そのまま紹介することができない。そこでいくつか、類
似した問題を、ここでは考えてみる。もしあなたの子どもが、6歳〜12歳なら、一度、家庭で、
利用してみてほしい。(ただし無断、転用、転載は禁止。)

 田中ビネー知能検査法では、7歳で、正解率は、約50%。11歳で、約95%とみる。

【テスト法】

 軽く子どもの前で問題を読み、どのような反応を示すかをみる。「あれ、おかしいよ」というよう
な反応をみせたら、「どこが?」と聞く。そのとき、子どもの言っていることが、的を得ているよう
なら、正解とする。

 問題の内容を説明したり、正解を押しつけてはいけない。子どもに、テストと意識させないよう
にするのがコツ。

++++++++++++++++

【テスト1】

 お姉さんは、今、10歳です。私より、2歳、年上です。でも、あと5年すると、私のほうが、年
上になります。

【テスト2】

 犬のケンは、ネコのタマより、体が大きいです。ニワトリのコッコは、ネコのタマより、体は小さ
いですが、犬のケンよりは、大きいです。

【テスト3】

 公園の中を、二人のおじいさんが、歩いていました。一人は、男の人でしたが、もう一人は、
女の人でした。

【テスト4】

 魚屋さんへ、お母さんといっしょに、買い物に行きました。私は、たまごを3個買いましたが、
お母さんは、何も買いませんでした。

【テスト5】

 朝起きてから、お父さんと、魚釣りに行きました。お父さんは、ラケットをもっていきました。ぼ
くは、ボールをもって行きました。

【テスト6】

 りんごが、5個ありました。そこへお兄さんがきたので、ぼくと、二人で分けました。お兄さん
が、3個。ぼくも、3個もらいました。

【テスト7】

 お母さんのお姉さんが、ぼくの家にあそびにきました。「おじさんは、何歳?」と聞くと、お姉さ
んは、笑いながら、「40歳だよ」と言いました。

【テスト8】

 今日は、日曜日です。で、明日の土曜日までに、ぼくとお兄さんは、近くの図書館へ、本を返
しに行かねばなりません。

【テスト9】

 おばあさんが、杖(つえ)をもって歩いていました。右手には、買い物袋、左手には、バッグを
さげていました。

【テスト10】

 A子さんの家は、山の上にあります。私の家は、山の下にあります。私の家から、A子さんの
家へ行くときは、下り坂で楽ですが、帰りがたいへんです。

++++++++++++++++++

 このテストでは、子どもの読解、理解力を知る。もしこうしたテストで、正解率が低いようであ
れば、日常的な会話に問題がないかを、反省する。

 頭ごなしの言い方、過干渉など。子どもとの会話の中に、「なぜ」「どうして」をふやすとよい。

【追記】

 こうした論理性のあるなしは、何も、子どもだけの問題ではない。先日も、こんなことを言う、
女性(50歳くらい)がいた。

 「祖父は、心筋梗塞で、なくなりました。二回目の発作が起きたとき、私の手をしっかりと握っ
て、『あとを頼む』と言いました。そしてそのまま眠るようになくなりました」と。

 その女性は、祖父のその言葉を盾に、「祖父の残した財産は、すべて私のもの」と主張して
いたが、その女性の言った言葉は、おかしい。

 あなたは、そのおかしさが、わかるだろうか。

 私が知るところでは、心筋梗塞という病気は、ふっつの病気ではない。「焼けひばしを、心臓
に突き刺されるような痛みを感ずる」(体験者)ということだそうだ。つまりふつうの痛さではな
い。

 その心筋梗塞の発作が起きているときに、「しっかり手を握って……」ということはありえな
い? 私はそう思った。(あるいは、本当に、その祖父は、そう言ったのかもしれないが……。)

 たまたま昨日(4・7)、小泉首相の靖国参拝が、憲法違反であるという裁判所の判断がくださ
れた。靖国参拝が、宗教的行為と認定されたわけである。

 それに対して、小泉首相は、「私は、そうは思わない。これからも靖国参拝はする」と言明して
いる。

 靖国参拝が憲法違反であるかどうかは別として、つまり、さておいて、この小泉首相の発言
は、自ら、三権分立の大原則を否定していることになる。「私は、そうは思わない」では、すまさ
れない。

 このように、私たちの身のまわりには、サラッと聞くとおかしくない話でも、よく考えてみると、
「?」という話は多い。こうした能力を判定する力が、ここでいう読解、理解力ということになる。




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●意識のちがい

 タクシーの運転手が、どこかノロノロ走っている前の車を見ながら、こう言った。「俺たちは、
道路でメシ食ってるんだ。ああいう運転は困るんだよ」と。

 一方、ある男性が、強引な走り方をするタクシーを見ながら、こう言った。「タクシーの運転手
ら、道路で仕事をさせてもらっているんだから、もっと遠慮がちに運転しろよ」と。

 同じ「運転」でも、立場がちがうと、その見方も、180度ちがう。こういう例は、少なくない。

 たとえば先の戦争で、300万人もの日本人が死んだ。それについて、「そうして国のために
死んでいった人たちの死を、ムダにしてはいけない」と考える人。こういう考え方は、右翼的思
想の基本となる。

 一方、「300万人もの人たちが戦争の犠牲になった。そういう戦争を二度と起こしてはいけな
い」と考える人。こういう考え方は、左翼思想の基本となる。

 つまり、意識というのは、そういうもので、大きくちがうように見えるかもしれないが、たがい
に、中身は、それほど、ちがわない。

●意識の変化

 こうした意識は、絶対的なものでは、ない。その人自身の思想の変化、環境の変化によって
も、変りうる。

 たとえば今、アメリカが、イラクで戦争をしている。昨日も、海兵隊員が、10数人、死んだ。

 こういうニュースを聞くと、私のばあい、鮮烈な衝撃が、走るようになった。恐らく3、4年前の
私には、予想もできなかった衝撃である。

 私の二男の妻は、アメリカ人である。孫もアメリカ人である。二男も、アメリカ国籍を、今、申
請している。そのうちアメリカ人になる。

 3、4年前までの「アメリカ」「アメリカ人」と、今の「アメリカ」「アメリカ人」は、私にとっては、明
らかにちがう。

 たとえば今、世界で一番、危機的な状況にあるのは、実は、日朝関係である。「つぎの紛争
地域」として、世界の政治学者たちは、この極東地域を、あげる。

 もちろん戦争を望むものではないが、しかし仮に、日朝戦争になり、あるいは、米朝戦争にな
っても、私は、孫のセイジには、このアジアまで、来てほしくない。もし戦争に来るというなら、私
は、孫のセイジに、こう言うだろう。

 「わざわざ極東まで、来なくてもいい。ぼくらのほうで、何とかするから」と。

 多分、こうした意識のちがいというのは、日本だけに住み、日本人だけの家族をもっている人
には、理解できないかもしれない。つまり今、自分でも気がつかなかったが、私自身の意識も、
明らかに変化してきている。

●絶対的な意識はない
 
絶対的な意識というのは、ない。普遍的な意識というのも、ない。わずか130年前には、この
日本では、「薩摩だの」「長州だの」と言っていた。「幕府」だの、「朝廷」だのと言っていた。

 しかし時代が変った今、こうした「国」のなごりは、せいぜい高校野球に残っているくらでしか
ない。「静岡県代表」「東北勢」「九州男児」などという言葉が使われる。

 わずか130年前には、日本人も、その地域のために、命までかけた。しかし今、「県」のため
に、命までかける人はいない。戦争をする人はいない。

 言いかえると、今、「日本」だの、「中国」だのと言っているほうが、おかしい。いつかやがて、
あのジョン・レノンが、『イマジン』の中で歌ったように、世界は一つになる。そうなったとき、人
間の意識は、これまた一つ上のレベルまでいくことになる。

 そこで私たちが、未来の子どもたちのためになずべきことは、この意識のレベルをあげるこ
と。決して、今の意識に安住してはいけない。今の意識を絶対視してはいけない。

 ……と書くと、決まって、「君には、愛国心はないのか」と言ってくる人がいる。とんでもない。
私にも愛国心はある。

 しかしその愛国心というのは、「国」という体制を愛する愛国心ではない。郷土を愛し、文化を
愛し、子どもたちの未来を愛するという愛国心である。あえて言えば、愛郷心、愛人心、愛日本
人心ということになる。が、日本の政府は、さかんに、愛「国」心という言葉を使う。

 しかし仮にK国が日本を攻めてくるようなことがあれば、私だって、そのK国と戦う。しかしそ
れは日本の体制を守るためではない。日本の郷土を守り、家族を守り、そして子どもたちの未
来を守るためである。いくら強要されても、私には、「天皇陛下、バンザーイ!」などと言って死
ぬことはできない。できないもは、できないのであって、どうしようもない。

●さあ、意識を高めよう!

 さあ、みんなで、力をあわせて、意識を高めよう。できるだけ広い視野で、高い視野で、自分
や地域や、そしてこの日本を見よう。そして考えよう。

 いつか世界の人が日本という国をみたとき、彼らが本当に尊敬するのは、私たち日本人がも
つ、広くて高い意識である。「日本や、日本人は、こんなにすばらしい国だったのか」と。

 しかしそれは一部の、文化人や、哲学者がする仕事ではない。私たち一人ひとりの庶民が、
すべきことである。その底辺から、私たち自身の意識をもちあげる。

隣のおじさんや、おばさんが、堂々と、正解平和を口にし、人間の尊厳を口にしたとき、日本
は、そして日本人は、はじめて、世界に誇る意識をもつことになる。

 まずいのは、今の意識に安住し、それを絶対視することである。かつてアメリカのCNNが、
「日本人に、ワレワレ意識がある間は、日本人は、決して、世界のリーダーにはなれない」と酷
評したことがある。その「ワレワレ意識」も、その一つかもしれない。

 耳の痛い言葉である。が、大切なことは、その「痛さ」を、さらに広くて、高い意識で、克服する
ことである。繰りかえすが、決して、今の意識に安住してはいけない。
(040408)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【参考1】

かつてジョン・レノンは、「イマジン」の中で、こう歌った。

♪「天国はない。国はない。宗教はない。
  貪欲さや飢えもない。殺しあうことも
  死ぬこともない……
  そんな世界を想像してみよう……」と。

少し前まで、この日本でも、薩摩だの長州だのと言っていた。
皇族だの、貴族だの、士族だのとも言っていた。
しかし今、そんなことを言う人は、だれもいない。

それと同じように、やがて、ジョン・レノンが夢見たような
世界が、やってくるだろう。今すぐには無理だとしても、
必ず、やってくるだろう。

みんなと一緒に、力をあわせて、そういう世界をめざそう。
あきらめてはいけない。立ち止まっているわけにもいかない。
大切なことは、その目標に向かって進むこと。
決して後退しないこと。

ただひたすら、その目標に向かって進むこと。

+++++++++++++++++

イマジン(訳1)

♪天国はないこと想像してみよう
その気になれば簡単なこと
ぼくたちの下には地獄はなく
頭の上にあるのは空だけ
みんなが今日のために生きていると想像してみよう。

♪国なんかないと思ってみよう
むずかしいことではない
殺しあうこともなければ、そのために死ぬこともなくない。
宗教もない
平和な人生を想像してみよう

♪財産がないことを想像してみよう
君にできるかどうかわからないけど
貪欲さや飢えの必要もなく
すべての人たちが兄弟で
みんなが全世界を分けもっていると想像してみよう

♪人はぼくを、夢見る人と言うかもしれない
けれどもぼくはひとりではない。
いつの日か、君たちもぼくに加わるだろう。
そして世界はひとつになるだろう。
(ジョン・レノン、「イマジン」より)

(注:「Imagine」を、多くの翻訳家にならって、「想像する」と訳したが、本当は「if」の意味に近い
のでは……? そういうふうに訳すと、つぎのようになる。同じ歌詞でも、訳し方によって、その
ニュアンスが、微妙に違ってくる。

イマジン(訳2)

♪もし天国がないと仮定してみよう、
そう仮定することは簡単だけどね、
足元には、地獄はないよ。
ぼくたちの上にあるのは、空だけ。
すべての人々が、「今」のために生きていると
仮定してみよう……。

♪もし国というものがないと仮定してみよう。
そう仮定することはむずかしいことではないけどね。
そうすれば、殺しあうことも、そのために死ぬこともない。
宗教もない。もし平和な生活があれば……。

♪もし所有するものがないことを仮定してみよう。
君にできるかどうかはわからないけど、
貪欲になることも、空腹になることもないよ。
人々はみんな兄弟さ、
もし世界中の人たちが、この世界を共有したらね。

♪君はぼくを、夢見る人と言うかもしれない。
しかしぼくはひとりではないよ。
いつか君たちもぼくに加わるだろうと思うよ・
そしてそのとき、世界はひとつになるだろう。

ついでながら、ジョン・レノンの「Imagine」の原詩を
ここに載せておく。あなたはこの詩をどのように訳すだろうか。

Imagine

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today…

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
No religion too
Imagine life in peace…

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world…

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one.

【参考2】

日本では、「国を愛する」ことが、世界の常識のように思っている人が多い。しかし、たとえば中
国や北朝鮮などの一部の全体主義国家をのぞいて、これはウソ。

日本では、「愛国心」と、そこに「国」という文字を入れる。しかし欧米人は、アメリカ人も、オー
ストラリア人も、「国」など、考えていない。たとえば英語で、愛国心は、「patriotism」という。こ
の単語は、ラテン語の「patriota(英語のpatriot)、さらにギリシャ語の「patrio」に由来する。

 「patris」というのは、「父なる大地」という意味である。つまり、「patriotism」というのは、日
本では、まさに日本流に、「愛国主義」と訳すが、もともとは「父なる大地を愛する主義」という
意味である。念のため、いくつかの派生語を並べておくので、参考にしてほしい。

●patriot……父なる大地を愛する人(日本では愛国者と訳す)
●patriotic……父なる大地を愛すること(日本では愛国的と訳す)
●Patriots' Day……一七七五年、四月一九日、Lexingtonでの戦いを記念した記念日。こ
の戦いを境に、アメリカは英国との独立戦争に勝つ。日本では、「愛国記念日」と訳す。

欧米で、「愛国心」というときは、日本でいう「愛国心」というよりは、「愛郷心」に近い。あるいは
愛郷心そのものをいう。少なくとも、彼らは、体制を意味する「国」など、考えていない。ここに日
本人と欧米人の、大きなズレがある。

(040406)



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【父親VS母親】

●母親の役割

 絶対的なさらけ出し、絶対的な受け入れ、絶対的な安心感。この三つが、母子関係の基本で
す。「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味です。

 母親は、自分の体を痛めて、子どもを出産します。そして出産したあとも、乳を与えるという
行為で、子どもの「命」を、はぐくみまず。子どもの側からみれば、父親はいなくても育つという
ことになります。しかし母親がいなければ、生きていくことすらできません。

 ここに母子関係の、特殊性があります。

●父子関係

 一方、父子関係は、あくまでも、(精液、ひとしずくの関係)です。父親が出産にかかわる仕事
といえば、それだけです。

が、女性のほうはといえば、妊娠し、そのあと、出産、育児へと進みます。この時点で、女性が
男性に、あえて求めるものがあるとすれば、「より優秀な種」ということになります。

 これは女性の中でも、本能的な部分で働く作用と考えてよいでしょう。肉体的、知的な意味
で、よりすぐれた子どもを産みたいという、無意識の願望が、男性を選ぶ基準となります。

 もちろん「愛」があって、はじめて女性は男性の(ひとしずく)を受け入れることになります。「結
婚」という環境を整えてから、出産することになります。しかしその原点にあるのは、やはりより
優秀な子孫を、後世に残すという願望です。

 が、男性のほうは、その(ひとしずく)を女性の体内に射精することで、基本的には、こと出産
に関しては、男性の役割は、終えることになります。

●絶対的な母子関係VS不安定な父子関係

 自分と母親の関係を疑う子どもは、いません。その関係は出産、授乳という過程をへて、子
どもの脳にしっかりと、焼きつけられるからです。

 しかしそれにくらべて、父子関係は、きわめて不安定なものです。

 フロイトもこの点に着目し、「血統空想」という言葉を使って、それを説明しています。つまり
「母親との関係を疑う子どもはいない。しかし父親との関係を疑う子どもはいる」と。

 「私は、ひょっとしたら、あの父親の子どもではない。私の父親は、もっとすぐれた人だったか
もしれない」と、自分の血統を空想することを、「血統空想」といいます。つまりそれだけ、父子
関係は、不安定なものだということです。

●母親の役割

 心理学の世界では、「基本的信頼関係」という言葉を使って、母子関係を説明します。この信
頼関係が、そのあとのその子どもの人間関係に、大きな影響を与えるからです。だから「基本
的」という言葉を、使います。

 この基本的信頼関係を基本に、子どもは、園の先生、友人と、それを応用する形で、自分の
住む世界を広げていきます。

 わかりやすく言えば、この時期に、「心を開ける子ども」と、「そうでない子ども」が、分かれる
ということです。心を開ける子どもは、そののち、どんな人とでも、スムーズな人間関係を結ぶ
ことができます。そうでなければ、そうでない。

 子どもは、母親に対して、全幅に心を開き、一方、母親は、子どもを全幅に受け入れる…
…。そういう関係が基本となって、子どもは、心を開くことを覚えます。よりよい人間関係を結
ぶ、その基盤をつくるということです。

 「私は何をしても、許される」「ぼくは、どんなことをしても、わかってもらえる」という安心感が、
子どもの心をつくる基盤になるということです。

 一つの例として、少し汚い話で恐縮ですが、(ウンチ)を考えてみます。

 母親というのは、赤ん坊のウンチは、まさに自分のウンチでもあるわけです。ですから、赤ん
坊のウンチを、汚いとか、臭いとか思うことは、まずありません。つまりその時点で、母親は、
赤ん坊のすべてを受け入れていることになります。

 この基本的信頼関係の結び方に失敗すると、その子どもは、生涯にわたって、(負の遺産)
を、背負うことになります。これを心理学の世界では、「基本的不信関係」といいます。

 「何をしても、心配だ」「どんなことをしても、不安だ」となるわけです。

 もちろんよりよい人間関係を結ぶことができなくなります。他人に心を開かない、許さない。あ
るいは開けない、許せないという、そういう状態が、ゆがんだ人間関係に発展することもありま
す。

 心理学の世界では、このタイプの人を、攻撃型(暴力的に相手を屈服させようとする)、依存
型(だれか他人に依存しようとする)、同情型(か弱い自分を演出し、他人の同情を自分に集め
る)、服従型(徹底的に特定の人に服従する)に分けて考えています。

どのタイプであるにせよ、結局は、他人とうまく人間関係が結べないため、その代用的な方法
として、こうした「型」になると考えられます。

 もちろん、そのあと、もろもろの情緒問題、情緒障害、さらには精神障害の遠因となることも
あります。

 何でもないことのようですが、母と子が、たがいに自分をさらけ出しあいながら、ベタベタしあ
うというのは、それだけも、子どもの心の発育には、重要なことだということです。

●父親の役割

 この絶対的な母子関係に比較して、何度も書いてきましたように、父子関係は、不安定なも
のです。中には、母子関係にとってかわろうとする父親も、いないわけではありません。あるい
は、母親的な父親もいます。

 しかし結論から先に言えば、父親は、母親の役割にとってかわることはできません。どんなに
がんばっても、男性は、妊娠、出産、そして子どもに授乳することはできません。そのちがいを
乗り越えてまで、父親は母親になることはできません。が、だからといって、父親の役割がない
わけではありません。

 父親には、二つの重要な役割があります。(1)母子関係の是正と、(2)社会規範の教育、で
す。

 母子関係は、特殊なものです。しかしその関係だけで育つと、子どもは、その密着性から、の
がれ出られなくなります。ベタベタの人間関係が、子どもの心の発育に、深刻な影響を与えてし
まうこともあります。よく知られた例に、マザーコンプレックスがあります。

こうした母子関係を、是正していくのが、父親の第一の役割です。わかりやすく言えば、ともす
ればベタベタの人間関係になりやすい母子関係に、クサビを打ちこんでいくというのが、父親
の役割ということになります。

 つぎに、人間は、社会とのかかわりを常にもちながら、生きています。つまりそこには、倫理、
道徳、ルール、規範、それに法律があります。こうした一連の「人間としての決まり」を教えてい
くのが、父親の第二の役割ということになります。

 (しなければならないこと)、(してはいけないこと)、これらを父親は、子どもに教えていきま
す。人間がまだ原始人に近い動物であったころには、刈りのし方であるとか、漁のし方を教え
るのも、父親の重要な役目だったかもしれません。

●役割を認識、分担する

 「母親、父親、平等論」を説く人は少なくありません。

 しかしここにも書いたように、どんなにがんばっても、父親は、子どもを産むことはできませ
ん。また人間が社会的動物である以上、社会とのかかわりを断って、人間は生きていくことも
できません。

 そこに父親と、母親の役割のちがいがあります。が、だからといって、平等ではないと言って
いるのではありません。また、「平等」というのは、「同一」という意味ではありません。「たがい
の立場や役割を、高い次元で、認識し、尊重しあう」ことを、「平等」と、言います。

 つまりたがいに高い次元で、認めあい、尊重しあうということです。父親が母親の役割にとっ
てかわろうとすることも、反対に、母親の役割を、父親の押しつけたりすることも、「平等」とは
言いません。

 もちろん社会生活も複雑になり、母子家庭、父子家庭もふえてきました。女性の社会進出も
目だってふえてきました。「母親だから……」「父親だから……」という、『ダカラ論』だけでもの
を考えることも、むずかしくなってきました。

 こうした状況の中で、父親の役割、母親の役割というのも、どこか焦点がぼけてきたのも事
実です。(だからといって、そういった状況が、まちがっていると言っているのでは、ありませ
ん。どうか、誤解のないようにお願いします。)

 しかし心のどこかで、ここに書いたこと、つまり父親の役割、母親の役割を、理解するのと、
そうでないのとでは、子どもへの接し方も、大きく変わってくるはずです。

 そのヒントというか、一つの心がまえとして、ここで父親の役割、母親の役割を考えてみまし
た。何かの参考にしていただければ、うれしく思います。
(はやし浩司 父親の役割 母親の役割 血統空想)

【追記1】

 母子の間でつくる「基本的信頼関係」が、いかに重要なものであるかは、今さら、改めてここ
に書くまでもありません。

 すべてがすべてではありませんが、乳幼児期に母子との間で、この基本的信頼関係を結ぶ
ことに失敗した子どもは、あとあと、問題行動を起こしやすくなるということは、今では、常識で
す。もちろん情緒障害や精神障害の原因となることもあります。

 よく知られている例に、回避性障害(人との接触を拒む)や摂食障害などがあります。

 「障害」とまではいかなくても、たとえば恐怖症、分離不安、心身症、神経症などの原因となる
こともあります。

 そういう意味でも、子どもが乳幼児期の母子関係には、ことさら慎重でなければなりません。
穏やかで、静かな子育てを旨(むね)とします。子どもが恐怖心を覚えるほどまで、子どもを叱
ったりしてはいけません。叱ったり、説教するとしても、この「基本的信頼関係」の範囲内でしま
す。またそれを揺るがすような叱り方をしてはいけません。

 で、今、あなたの子どもは、いかがでしょうか。あなたの子どもが、あなたの前で、全幅に心を
開いていれば、それでよし。そうでなければ、子育てのあり方を、もう一度、反省してみてくださ
い。

【追記2】

 そこで今度は、あなた自身は、どうかということをながめてみてください。あなたは他人に対し
て、心を開くことができるでしょうか。

 あるいは反対に、心を開くことができず、自分を偽ったり、飾ったりしていないでしょうか。外
の世界で、他人と交わると、疲れやすいという人は、自分自身の中の「基本的信頼関係」を疑
ってみてください。

 ひょっとしたら、あなたは不幸にして、不幸な乳幼児期を過ごした可能性があります。

 しかし、です。

 問題は、そうした不幸な過去があったことではありません。問題は、そうした不幸な過去があ
ったことに気づかず、その過去に振り回されることです。そしていつも、同じ、失敗をすることで
す。

 実は私も、若いころ、他人に対して、心を開くことができず、苦しみました。これについては、
また別の機会に書くことにしますが、恵まれた環境の中で、親の暖かい愛に包まれ、何一つ不
自由なく育った人のほうが、少ないのです。

 あなたがもしそうであるかといって、過去をのろったり、親をうらんだりしてはいけません。大
切なことは、自分自身の中の、心の欠陥に気づき、それを克服することです。少し時間はかか
りますが、自分で気づけば、必ず、この問題は、克服できます。
(040409)




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10

●老齢によるボケ

 小便をしたあと、ズボンのチャックをあげ忘れても、ボケではない。しかし小便をする前に、チ
ャックをさげ忘れたら、ボケである。

 この話を、ワイフに言って聞かせると、ワイフがこう言った。

「部屋に入ったとき、ドアを閉め忘れても、ボケではない。しかし部屋に入るとき、ドアを開け忘
れたら、ボケよね」と。

 ナルホド! なかなかうまいことを言う。

 で、そのボケだが、50歳を過ぎると、がぜん、深刻な問題となってくる。そこで一つのバロメ
ーターになると思うが、こんなことが言える。

 同年齢の皆が、自分と同じように愚かに見えるようであれば、ボケではない。しかし同年齢の
皆が、自分と同じように賢く見えるようであれば、ボケである。

 この時期、人によっては、急速にボケ症状が進む。話し方が、かったるくなる。反応が鈍くな
る。繊細な話ができなくなる。

 しかしそれは相対的な変化で、仮に、自分も、同じように皆とボケ始めていたら、それはわか
らない。つまり、皆が、自分と同じように賢く見える。

 哲学の世界でも、「自分を知る」ことが、一つの大きなテーマになっている。ギリシャの哲学
者、キロンも、『汝自身を知れ』という有名な言葉を残している。

 そこで自分を知るための第一歩が、「自分の愚かさを知る」ということになる。決して、自分が
正しいとか、賢明であるとか、最上であると思ってはいけない。「私はバカである」という大前提
で生きる。

当然のことながら、この世界には、私たちが知っていることより、知らないことのほうが、はるか
に多い。そこで、こんなことも言える。

 「私はボケてきた。バカだ」と思ったら、ボケではない。しかし「私は賢くなった。何でも知って
いる」と思ったら、ボケである。

 要するに、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分がボケ始めたとしても、それに気
づくことは、まずない。だから自分の身のまわりの、相対的変化を見ながら、自分のボケを知
るしかない。

 私のばあい、こんなことが言える。

 数年前に書いた文章、さらに10年前に書いた文章を、ときどき読みかえす。そのとき、以前
書いた文章のほうが、つまらなく感じたら、私は、まだボケていない。しかし以前書いた文章の
ほうが、おもしろく感じたら、私は、ボケ始めた、と。

 内容というよりは、サエや鋭さをいう。

 で、その実感だが、少し前までは、「以前は、どうしてこんなヘタクソな文章を書いたのだろう」
と思うことが、しばしばあった。しかしこのところ、それがどうやら、逆転してきたようだ。「以前
書いていた文章のほうが、おもしろい」と思うことが、ときどきある。つまり、かなりボケが進み
始めたとみてよい?

 こういう例は、ほかにもある。

 かつて名映画監督として一世を風靡(ふうび)した人に、KS氏という人がいる。私はKS氏の
つくる映画が好きだった。だから、すべてを見た。

 しかしKS氏のつくる映画は、晩年になればなるほど、つまらなくなってきた。堅苦しくなってき
たというか、「これが映画だ」という気負いばかり、強くなったように感じた。もうそのころになる
と、無名時代の、あの燃えるような楽しさは、なかった。

 同じことは、作家の世界でも、よく起こる。同じように、直木賞作家に、IT氏という人がいる。し
ばらく金沢市にも住んでいたことがあり、強い親しみを感じていた。

 で、そのIT氏は、もう70歳を過ぎているが、毎月のように新刊書を発売している。で、昔は、I
T氏の本は、よく買った。しかしここ10年、マンネリ化したというか、たいてい立ち読みだけです
まし、どうしても買う気が起きない。

 KS氏は、すぐれた映画監督であった。IT氏も、すぐれた作家である。それはまちがいない
が、しかし老齢には、そういう問題も含まれる。

 このところ、恩師のT先生などと、ボケについて、よく話しあう。T先生は、80歳を過ぎている
から、私より、ことは、深刻である。

 「あのM先生(学士院賞受賞者)は、このところ、奥さんの顔もわからなくなりました」「あのS
先生も、このところボケが急速に進み、テニスにも来なくなりました」と。

 しかしそれがT先生にわかるということは、T先生は、まだボケていないということになる。「自
分もボケ始めている」と感ずるときは、まだボケていないということ。だからT先生への返事に
は、こう書いた。

 「先生は、まだだいじょうぶですよ」と。

 知力も、体力と同じように、50歳を過ぎると、急速に衰えてくる。30代、40代の若い人に
は、理解できないことかもしれないが、だれでもそうなる。例外はない。その一つが、ボケという
ことになる。


●ボケ症状

 義理の姉の母親は、今年、88歳になる。その母親が、5、6年前から、ボケ始めたという。義
理の姉は、「まだらボケ」と呼んでいる。実際に、そういう呼び名があるそうだ。その日の体調に
応じて、頭の働きがまあまあ、ふつうなときと、そうでないときが、まだらに現れる。

 困るのは、自分でモノをしまい忘れたくせに、義理の姉たちに向って、「盗んだ」「隠した」と騒
ぐことだそうだ。その当初は、近所の人たちにも、そう言いふらされたりして、義理の姉も、かな
り苦労したようだ。

 しかしこういう例は、少なくない。

 家族内どうしでのことならまだしも、近隣の人たちと、トラブルを起こすこともある。完全にボ
ケてしまえば、それなりに外の人にも、判断できる。しかしそうでないと、外の人には、それが
わからない。

 最近でも、こんな話を聞いた。

 Y氏(82歳男性)の趣味は、盆栽。庭中に、盆栽を作って、ところ狭しとそれを並べている。

 が、である。このところ、「近所のXが、またオレの盆栽を盗んだ」「Yが、こっそり、盆栽をもっ
ていった」などと、口走るようになった。

 どうやら昔もっていた盆栽を思い出しては、そう言うらしい。

 で、最初のころは、家族へのグチのようなものだったが、このところ、そのX氏や、Y氏に、手
紙を書くようになったという。「お前が、ワシの盆栽を盗んだ。返せ!」と。

 これには、X氏もY氏も、大激怒。「ドロボーと決めつけるとは、何ごとか!」と。

 こうした例は、多い。ひょっとしたら、あなたの周辺にも、こういう例は、多いはず。

 で、ボケについて調べてみると、行動面での変化をとらえて、その初期状態を知るという方法
が、一般的である。

( )モノをしまい忘れる。
( )電気製品が、使えなくなくなる。
( )名前が思い出せなくなる。
( )生活がだらしなくなる。
( )同じことを聞きかえしたりする。

 しかし精神面での変化については、あまり問題とされていない?

 で、あちこちのサイトを調べてみたら、老人性の痴呆症の中に、「ピック病」というのがあるの
が、わかった。聞きなれない言葉だったので、興味をもった。三宅貴夫氏の文献から、症状
を、列挙してみる。

( )当初は性格の変化が目立つ。几帳面な人がずぼらになり、下着が汚れても気にしなくなっ
たり、風呂に入るのを嫌がったりするようになる。
(  )仕事もいいかげんにしたり、約束を破っても気にしなくなることがある。しかし一人での生
活は難しくなる。
(  )病気が進行してくると物忘れや判断力の低下など、痴呆の症状が目立つようになる。
(  )本人は体力はあり、暴力もあり、ひととおりの理屈を言うので、対応はアルツハイマー病
以上に難しい。(医師:三宅貴夫)

 ピック病というのは、アルツハイマー病には似ているが、脳のある部分だけがしっかりとして
いる病気のことか。「ひととりの理屈を言うので、対応はアルツハイマー病以上に難しい」とあ
る。
 
 ボケにも、いろいろあるようだ。これから先、少しずつ、老人(私)のボケについて、書いてみ
たい。私のボケの進行状態を、マガジンで実況中継をするというのも、おもしろいかもしれな
い。

 「みなさん、今月は、要介護2になりました。お元気ですか?」と。ハハハ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

++++++++++++++++++

●老人のボケ

 家族の人たちには、それがわかる。しかし一歩、離れた他人には、それがわからない。

 私の近所で、こんなことがあった。

 あるときAさん(52歳女性)のところへ、近所に住むB氏(80歳男性)から、手紙が届いた。
読むと。「お前は、うちの盆栽を盗んだ。証拠が見たかったら、来い」と。

 実際には、支離滅裂な文面だった。Aさんが見せてくれた手紙の内容は、おおむね、こんな
ようなものだった。

「盗人、盆栽、告発状
 貴殿の汚れた手、
 天はすべてお見通し。
 
 今週までに返せ。
 証拠、見せてやる。警察、
 通報済みのはず。

 貴殿の悪行、地をはう、虫。
 盆栽、返せてくだされ」

 驚いて、AさんがB氏のところへ。ところが、どこかB氏は、にこやか(??)。玄関のチャイム
を鳴らすと、明るい声で、「今、開けます」と。

 しかしAさんは、怒った。「ドロボーとは、何ですか。私がいつ、あなたの盆栽を盗みましたか。
証拠があるのですか!」と。

 が、B氏は、「証拠はない」と。あっさりと、それを認めた。が、それでもAさんの怒りは、おさま
らなかった。B氏と30分ほど、大声でやりあったという。近くにB氏の妻もいたというが、その妻
は、昔からほとんど、人前ではしゃべらない人だった。

 Aさんが、「奥さん、何とか言ってください」と促しても、B氏の妻は、ただ「ウンウン」と、うなず
いているだけ……。

 実は、こういうケースは、たいへん多い。ボケるのは、本人の勝手だが、その結果、まわりの
人たちに、いらぬ迷惑をかけてしまう。もっとも、はっきりと、だれの目にもボケているのがわか
るようなボケ方なら、よい。そういうボケなら、まだわかりやすい。が、そうでないときに、困る。

 実際、そういうボケもあるそうだ。結構、言うことなすこと、まともなくせに、どこか、言動かお
かしくなる。理屈も、一応、通っている。道理も、わかっているような様子を見せる。しかしどこ
か、おかしい。

 こういうボケは、始末が悪いらしい。私も、何度か、そういう人たちにからまれたことがある。
一見、まともで、まともでない人たちである。

 本来なら、家族の人が、こういうことを、あらかじめ近所の人に知らさなければならない。しか
しこういうケースにかぎって、家族の人は、それを隠そうとする。だからそれを知らない、まわり
の人たちが、不愉快な思いをさせられる。ばあいによっては、キズつく。

 ところで、こんなボケ診断テストがあるそうだ。ある本で読んだが、そのまま使えないので、私
の方で、少し改変して、類似問題を考えてみた。

【あなたのボケは、だいじょうぶ?】

 一本のつり橋がある。ところどころ、板が抜けている。一度に、2人しか渡れない。しかも20
分後には、上流から土石流が流れてきて、橋は、つぶれる。

 時刻は、夜。真夜中。星はない。あたりはまっくら。手元にあるのは、懐中電灯、一個だけ。
懐中電灯がなければ、橋を渡ることができない。

 A氏はスポーツ選手。橋を渡るのに、1分。B氏は、腰を痛めている。橋を渡るのに、5分。C
氏は、足が不自由。橋を渡るのに、8分。Dさんは、女性。高所恐怖症。橋を渡るのに、4分か
かる。

 さあ、この4人は、どうやって、橋を渡ればよいか。繰りかえすが、懐中電灯は、一個しかな
い。

+++++++++++++++

 さあ、あなたはこの問題を、何分で解けただろうか。一度、読み終わった瞬間、(1)解きかた
の方向性が思い浮かべば、あなたの頭は、まだ健康。しかし(2)数回読んでも、その解き方が
わからないようであれば、あなたの頭は、かなりサビついていることを示す。

 解き方の方向性さえわかれば、あとは、その方向性に沿って、この問題を解けばよい。

【考え方】

 スポーツ選手のA氏に、懐中電灯をもって、そのつど、往復してもらう。A氏が、ポイントであ
る。

まずA氏とB氏が橋を渡る。所要時間は、5分。B氏が渡ったら、A氏が、もどる。もどったら、A
氏は、今度は、C氏と橋を渡る。これを繰りかえして、3回目に、A氏は、Dさんと、いっしょに橋
を渡る。

 計算すると、5+1+8+1+4=18(分)ということになる。この方法で、橋を渡れば、20分
以内に、4人は、無事、橋を渡ることができる。

+++++++++++++++++

 私は、こうして毎日、エッセーを書いているせいなのか、やはり「文章」が気になる。

 私が最初、B氏がAさんに出したという手紙を見たとき、「B氏は、まともな人ではない」と、直
感した。「支離滅裂」という言葉を使ったが、手紙の内容は、まさに支離滅裂!

 ふつう文章というのは、書いたあと、何度も読みかえす。とくに、こうした重要な手紙では、そ
うである。

 そのとき、つまり読みかえしたとき、自分が書いた文章の中におかしなところがあれば、それ
に気づくはず。その「気づく力」が、知力ということになる。言いかえると、その(おかしさ)に気づ
かないというのであれば、脳ミソは、かなりサビついているとみてよい。

 今、少子高齢化の問題が、世間で騒がれている。その高齢化には、こうした問題も、含まれ
ている。つまりボケの問題である。そしてその「ボケ」というと、そのボケた人だけの問題と考え
がちである。しかしそれだけでは、足りない。

今、全国で、全世界で、Aさんが直面しているような問題で、不愉快な思いをしている人は、多
いはず。決して、無視できない。

 そのB氏だが、なぜ、B氏は、B氏のようになってしまったのか?

 Aさんは、こう言う。

 「B氏は、近所づきあい、人づきあいを、まったくというほどしません。隣のCさんに聞くと、一
年のうちでも、訪問者が一人いるかいないかという程度らしいです。一人息子は、今、結婚し
て、大阪に住んでいますが、数年に一度くらいしか帰ってこないとのこと。あとは、奥さんの友
人が、2、3か月に一度くらい、遊びにくる程度とのことです」と。

 人づきあいをしないから、B氏のようになるというわけでもない。ボケたから、人づきあいをし
なくなったとも考えられる。が、しかし(人づきあい)が、ボケと、どこか関連性があるのは、事実
のようである。子どもの引きこもりと同じように、今、老人の引きこもりも、大きな社会問題にな
りつつある。

 そんなわけで、少し性急な結論かもしれないが、ボケを防止するためには、他人と積極的に
かかわっていく。それはとても重要なことのように思う。(新しい発見、ゲット!)

 そこであなたのボケ予兆診断。これは、Aさんから、B氏について聞いた話をヒントにして、ま
とめたもの。

【他人とのかかわり度診断】

( )この数か月、あなたの家へ、友人として、あなたをたずねてきた訪問者は、ゼロ。(セール
スや、御用聞きなどは、除く。)
( )この数か月、だれかの家へ、友人として、訪問したことは、ゼロ。(仕事で訪問するのは、
除く。)
( )近所や、町内の仕事など、ここ数か月から一年以上、したことがない。近所の清掃など、
奉仕活動をしたことがない。
( )属しているスポーツクラブ、地域活動、役職などは、まったくない。いつも家の中で、ひと
り、ぼんやりしていることが多い。
( )趣味は、ひとりでできるものばかり。買い物、やむをえぬ冠婚葬祭などをのぞいて、外出す
ることは、ほとんどない。

 ここに書いた症状に近い人は、かなり注意したほうがよい。

++++++++++++++++

 そこで私のこと。この数年間、休んでいましたが、この5月から、再び「子育て教室」を開講す
ることにしました。

今までは、あくまでも「子育て相談」でしたが、これからは、私の脳ミソのボケ防止のためです。
どこか、利用させてもらうようで、悪いのですが、よろしくお願いします。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●老人百様

 ほとんどの老人たちは、美しく老いる。そういう老人たちを見ながら、「私もああなりたい」「あ
あいうふうに余生を送りたい」と思う。

 しかし中には、そうでない老人もいる。

 巨億の資産をもちながら、一方で、ささいな土地の権利を争っている老人がいる。あるいは
近所に人が、道路に車を駐車しただけで、それを写真にとって、警察へ送っている老人もい
る。ささいな見栄やメンツにこだわって、世間体ばかり気にしている老人もいる。みな、80歳を
過ぎた老人たちである。

 そういう老人たちを見ると、「生きるということはどういうことなのか」と、そこまで考えさせられ
る。「残り少ない人生を、どう考えているのだろうか」とか、「死ぬことで、宇宙もろとも、すべてを
なくす人が、なぜそんなことをするのだろうか」とか、いろいろ考えさせられる。私には、そういっ
た老人たちが、どうにもこうにも、理解できない。

 「残り少ない人生だから、もう妥協したくない」と考えるのだろうか。あるいは老人になればな
るほど、ますますガンコになるのだろうか。

 今夜もワイフと、そんなことを話しあう。

ワイフ「近所の、Hさんね、夫婦で歩いているところを見たことがないわ」
私「そう言えば、そうだな。二人とも、今年、80歳になるんじゃないかな?」
ワ「そういう夫婦もいるのね」

 Hさん夫婦は、この近くに住んで、もう25年になる。退職する前は、ずっと共働きだった。そ
れはわかるが、その25年の間、夫婦で買い物でも何でも、いっしょに歩いているところを、私
たちは見たことがない。

私「そうだな……。そう言えば、見たことないなア……。昔の人は、みな、そうだったみたい…
…」
ワ「でも、そんな夫婦生活、私なら、耐えられないわ」
私「しかし、夫婦には、形はないからね。どんな夫婦でも、夫婦だよ。自分たちのスタンダード
(基準)を、押しつけてはいけないよ」と。

 実際には、そういう夫婦もいる。

 少し話が脱線したが、老後になればなるほど、その生きザマも先鋭化する。極端になる。そう
いうことはある。もっとも、それまでにボケれば、それまで。

 では、どうするか。

 釈迦も『精進(しょうじん)』という言葉を使った。つまり死ぬまで、とにかく前向きに生きるとい
うこと。立ち止まってはいけない。休んでもいけない。いつも考え、そして行動する。そういう生
きザマそのものに中に、生きる意味がある。

 こうした、つまりあまり手本にならない老人たちの特徴といえば、いろいろある。まず、(1)世
間とのかかわりが、少ない。どこか家の中に引きこもり、好き勝手なことをしているといったふ
う。近所の清掃活動すら、しない。

 つぎに(2)5年単位、10年単位でみたとき、進歩や変化がない。どこか、生きザマそのもの
が、停滞している。ものの考え方や行動が、保守的。「私は完成された人間」というような、おご
りすら、感ずる。何かにつけて、過去の栄光や肩書きをひけらかす。

 もう一つは、(3)「何とかなる」式の、生き方をしているということ。全体としてみると、不幸に
向って、まっしぐらに進んでいるのに、1年先はおろか、自分の明日すら、見ようとしていないこ
と。生きザマが、どこか無責任。

 私たちはいつも、前に向って、何かに挑戦していく。開拓していく。戦っていく。新しいことを学
び、そして知る。まさに「精進」ということになるが、心豊かな老後は、そういう生きザマの中から
生まれてくる。

 老人がおちいりやすい罪悪に、10個ある。

(停滞)……今日は、昨日と同じ。明日も、今日と同じ。
(復古)……何でも過去がよかったと言う。
(固執)……がんこになる。他人の意見に耳を傾けなくなる。
(孤立)……他人との関わりをもたない。
(依存)……だれかに依存しようとする。そのために画策する。
(服従)……「老いては、子に従え」式の生きザマを正当化する。
(保守)……過去を繰りかえそうとする。
(怠惰)……ことさら体の不調を理由に、だらしなくなる。
(反復)……同じことを繰りかえす。
(失望)……夢や希望をもたない。未来への展望をもたない。

 老化は、だれにもやってくる。例外はない。しかし忘れてならないのは、人は、50歳を過ぎる
と、自分の「老い」を感ずるようになる。しかしそれから先、老後は、何と、35年近くもあるとい
うこと。(35年だぞ!)

 その老後は、あなたの少年少女期と、青年時代を加えたりよりも、長いということ。その長い
期間を、どう過ごすか。どう生きるか。これはだれにとっても、きわめて重要な問題である。
(はやし浩司 老人 老人問題)

【追記】

 昔、若いころ、私は東京のG社という出版社で、雑誌の編集を手伝っていた。そのとき世話に
なったのが、S氏という編集長だった。

 S氏は、G社を退職したあと、G社の子会社の出版社の社長を勤めた。が、その直後、「洗面
器いっぱいの血を吐いて」(S氏)倒れた。

 がんである。

 手術で、何とか一命をとりとめたが、それからのS氏の生きザマがすごかった。そのときすで
に55歳を超えていたが、運転免許を取り、車を買った。で、これはあとから奥さんに聞いた話
だが、S氏は、一年間に、何と10万キロ以上も日本中を走り回ったという。

 北海道のハシから、九州のハシまで、約2000キロだから、その50倍ということになる。

 S氏が、何を思い、何を考えて、そうしたのか、私は知らない。しかしその「10万キロ」という
数字に、私はS氏の生きることに対する執念のようなものを感じた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●高齢者の虐待

 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護
サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11
月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があっ
たということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。
 虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。夫が虐待
するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。

 これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということ
になる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。こうした虐待
は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。最近の若者のうち、「将来親の
めんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府の調査)。

 しかし考えてみれば、おかしなことではないか。今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っ
ている世代はいない。飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。本来なら、親に
感謝して、何らおかしくない世代である。

 が、どこかでその歯車が、狂う。狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。

 私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。

 話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こ
んなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。

 しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。言葉の虐待である。

 親は、子どものためと思ってそう言う。(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言
うのだが……。)子どもの側で考えてみれば、それがわかる。

 子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場では
ない。心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。これはもう、立派な
虐待と考えてよい。

 しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだい
ている。それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。子どもの心は、その受験期をさかいに、急速
に親から離れていく。しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。

 その結果だが……。

 あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。あなたの周辺には、心の暖かい人も
いれば、そうでない人もいる。概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、
今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。

 一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。

 私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、
連続して教えたことがある。そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期に
またがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。

 この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライ
で、合理的になる。はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え
方を、平気でするようになる。

 こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えな
い。つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。

 さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろう
か。……言うことができるだろうか。あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目
で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)

++++++++++++++++++++++

少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。

++++++++++++++++++++++

●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子
どもの心にあてはまる諺はない。きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続
くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小四男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、いつも
他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、ごくふつう
の子どもだった。が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。

何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」と
か、「殺」とかいう文字もあった。しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血が
タラタラと流れていた。ほかに首のない死体や爆弾など。原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、二時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその日のノ
ルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり
出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような残虐事
件は、現場ではいくらでもある。

その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。一人の子ども(小二男
児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題
になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。ネコやウサギをお
もしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊ん
でいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小三男児)もい
た。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、い
わゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。

そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担や過干
渉が原因でないとは、もっと言えない。子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で
発散させようとする。いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られて
いる。合理的で打算的になる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなたの周囲には、心が温かい人も
いれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいと
いうことを、あなたは知っている。子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、
それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。それを忘れてはならない。
(040419)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【追記】

 受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。それは事実だが、破壊された子ども、あるい
はそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。

 が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。本当の問題は、「では、なぜ、親たち
は、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。

 なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。

 日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。学歴のある人は、とことん得をし、
そうでない人は、とことん損をした。こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通し
て、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。

 「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。

 つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。

 しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。意識を変え、制度を変
え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。

 決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。おかしいことは、「おかし
い」と言う。そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。

 少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。しかしこれだけは言え
る。

 あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、遅い
ということ。そのとき、気づいたのでは、遅いということ。今ここで、心豊かな親子関係とは、ど
んな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。
(040420)



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11

●不登校

 千葉県C市にお住まいの、DEさんより、子どもの不登校についての相談があった。

++++++++++++++++++
 
幼稚園の年長の秋頃から幼稚園に行けなくなりました。体操スクールでも突然、跳び箱が怖く
なり、無理やり連れて行ったりしてしまったので、吐くようになってしまい、卒園式だけいきまし
た。(親が一緒だといけるようなので……。)

小学校も入学式は、普通に行きました。翌日朝になって、通学班の6年生の男の子が、おむ
かえにきてくれたら、行かないと泣き出しました。主人がまだ出勤前だったので、主人が、無理
やり車で連れって行こうとしたので、私は、幼稚園の時のようにしては、いけないと思いそれ
は、それは、しないでと、お願いしました。

それでも、初日から休ませては、いけないかなと思い、ランドセルも、帽子もいいから、お母さ
んと一緒に学校に行こうと誘い、とにかく連れて行きました。

最初は、先生が、保健室にいたらといわれたのですが、子どもが廊下をうろうろしていたら、教
室を見てくると言い、家に帰ってランドセルを、取りに帰ると言いだしました。それで、そのまま
教室に入っていきました。でも、ひとりでは、教室には入られず、ずっと廊下から見ていました。

それから、毎日学校に一緒にいます。これから、ずっと、一緒について、行かなければ、いけな
いのでしょうか? どうして、うちのこだけがという思いと、ついていてあげなくては、との思い
や、これが、何時までとの不安が、夜も眠れず、ご飯も食べられず、なんとか、日々過ごしてい
ると言う状態です。

このさき、いままでの子育てが、まちがっていたのの、どこをどのように、母親として、自分のど
こを変えていったらいいのか、わかりません。どのように、していったら、いいでしょうか?(千
葉県C市、DEさん、母親より)

+++++++++++++++++++++

 子どもの不登校については、何度も書いてきました。どうか私のサイトの、「テーマ別子育て
論」をご覧ください。トップページの中段あたりに、それがあります。その中から、「不登校」もし
くは、「学校恐怖症」を選んで、ご覧になってください。

 またヤフーもしくは、グーグルの検索機能を使って、「はやし浩司 不登校」もしくは、「はやし
浩司 学校恐怖症」を検索してみてください。いくつかの記事にヒットするはずです。(ちなみ
に、自分で「はやし浩司 学校恐怖症」検索してみましたら、ヤフーで、9件、ヒットしました。)

+++++++++++++++++++++

 決して、DEさんを責めているのではない。DEさんは、今、子どものことで、たいへん苦しんで
いる。悩んでいる。それはわかるが、こうした問題は、「下」から見る。

 DEさんは、今、「自分の子どもは最悪の状態」と思っている。それもわかる。しかし決して、最
悪ではない。

 DEさんという母親がいっしょだと、学校へ行くということ。また教室の中でも、すわっておられ
るということ。同じ不登校(?)でも、症状は、軽い。先生も、そのあたりの指導については、よく
心得ていると思うので、先生に任せたらよい。

 少しずつ、心をほぐしていけば、やがて今の症状は、ウソのように消える。ここはあせらず、
あくまでも子どもの立場になって考える。「いつまでもいっしょにいてあげるわよ」という、やさし
い心が伝わったとき、あなたの子どもは、安心する。

 この問題は、その「安心感」が、第一。

 DEさんには、子どもに対して、何かしら、大きなわだかまりがあるかもしれない。その(わだ
かまり)が姿を変えて、心配先行型、不安先行型の子育てになっていると考えられる。

 今も、そういう状態にあると考えてよい。子どものよい面を見るのではなく、悪い面だけを見
て、その上に、自分の不安や心配を、塗り重ねている。そして心のどこかで、(ふつうの子ども)
(標準的な子ども)を思い描き、その子どもに、無理に当てはめようとしている。

 こうした育児姿勢では、DEさんの、悩みは、いつまでたっても消えない。解決しない。「もっと
よくなるはず……」「さらに……」と、子どもを追い立てる。そしてそのたびに、DEさんは大きな
焦燥感を覚える。

 なぜDEさんは、子どもに向かって、こう言わないのか。

「あなたはがんばっているのよ」
「今日は学校へ、よく行ったわね」
「明日も、いっしょに行ってあげるよ」
「どんなことがあっても、ママは、あなたの味方よ」
「ママが、あなたを守ってあげるからね」
「ママも、あなたと勉強ができて、楽しいわ」と。

 繰りかえすが、今の症状は、同じ不登校の中でも、きわめて軽い。大切なことは、(今の状
態)を守り、これ以上、こじらせないこと。無理をすれば、「まだ前の症状のほうが、軽かった」と
いうことを繰りかえして、さらに症状は、重くなる。

 子どもが半日、学校へ行けるようになったら、「無理をしなくていいのよ。2時間で、おうちへ
帰ろうね」と言ってあげればよい。給食まで食べられるようになったら、「無理をしなくていいの
よ。午前中で、おうちに帰ろうね」と言ってあげればよい。

 そういう親側の心のゆとりというか、やさしさが、子どもの心を軽くする。

 この問題は、数か月単位でみること。「数か月前とくらべて、どうだ」と。

 まだ入学して、たったの数日(4月11日現在)!、なのに、もう「それから、毎日学校に一緒
にいます。これから、ずっと、一緒について、行かなければ、いけないのでしょうか? どうし
て、うちのこだけがという思いと、ついていてあげなくては、との思いや、これが、何時までとの
不安が、夜も眠れず、ご飯も食べられず、なんとか、日々過ごしていると言う状態です」とは!

 DEさん、少し、短気すぎませんか? 結論を急ぎすぎていませんか? あるいは妄想ばかり
ふくらませていませんか?

 お子さんは、心の緊張感がとれないで苦しんでいます。

 なぜ、心の緊張感がとれないか? つまりは、DEさん、あなた自身が、心を開いていないか
らです。つまるところ、これはあなたの子どもの問題ではなく、あなた自身の問題ということで
す。わかりますか?

 かなりきびしいことを書いてしまいましたが、数か月後の今ごろは、「そんなこともあったわ
ね」で終わるはずです。そういうたがいの明るい笑顔を想像しながら、ここは、どうか、「今」を
前向きに考えてください。

 何でもない問題ですよ! 不登校なんて!
(040410)



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12

●フリップ・フロップ理論
 
 ぐうたらな夫。自分勝手な子どもたち。そういうとき妻は、「もう、どうにでもなれ!」と思う。思
うが、しかし投げ出すわけにはいかない。離婚できれば、それがよい。話は簡単。子どもを連
れて、家を出ればよい。しかしそれもできない。世間体もある。見栄もある。実家の両親にも心
配をかけたくない。何よりも大きな問題は、経済。お金。だから、がまんする。だから、苦しい…
…。

 今、こうした状態で、板ばさみになっている妻(夫)は、多い。

 しかし人間の心というのは、不安定な状態には、長くは耐えられない。そこでどちらか一方に
ころんで、安定しようとする。(あきらめて現状を受け入れるか)、さもなくば(離婚して清算する
か)、そのどちらかに、ころぼうとする。

こういうのを、心理学では、『フリップ・フロップ理論』という。もともとは、有神論者が、無神論者
に。無神論者が、有神論者に変化するときの、はげしい葛藤を意味する。(フラフラした状態)
を、「フリップ・フロップ」という。私は、勝手に「コロリ理論」を訳している。

 たとえばことさら大声をあげて、神の存在を説く人ほど、コロリと、無神論者になったりする。
心理的に不安定な人ほど、よく騒ぐということ。反対に、本物の有神論者や、無神論者は、静
かに、落ちついている。

が、コロリといっても、そこには、過程(プロセス)がある。その過程が、これまた苦しい。

 総じてみれば、人間の悩みや苦しみは、その中途半端な状態から生まれる。子どもの受験
期を例にあげて、もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 受験期を迎えると、たいていの親は、狂乱状態になる。子どもが長男、長女のときは、とくに
そうだ。二人目、三人目となると、多少の余裕もできる。しかしそれでも、「多少の余裕」にすぎ
ない。

 このとき、ほとんどの親は、「少しでもランクの上の学校を」と思う。C中学に入学できそうだ
と、「何とかB中学に」。そのB中学に入学できそうだと、「何とかA中学に」と。

 もちろんその反対のケースも、ある。B中学があぶなくなってくると、「何とか、B中学に」。C中
学もあぶなくなってくると、「せめて、C中学に」と。

 こうしてたいていの親は、はげしい葛藤(かっとう)を経験する。しかしこうした中途半端な状
態は、親の心理を、緊張させる。その緊張状態にあるところへ、不安や心配が入りこむと、親
の心理は、一気に、不安定になる。

 が、この状態は、長くはつづかない。つづけばつづくほど、精神の消耗がはげしくなる。それ
こそ、身も心も、もたない。そこで親は、どちらか一方に、ころぼうとする。いや、実際には、こ
ろばされる。

 やがて受験競争も終盤になってくると、子どもの方向性が見えてくる。「何とか……」「まだ、
何とかなる……」という思いが、「いろいろやっては、みたけれど、あなたは、やっぱり、この程
度だったのね」という思いに変る。

 そしてあきらめる。受け入れる。そして我が身を振りかえりながら、「考えてみれば、何のこと
はない。私だって、ふつうの親だ」と思い知らされる。

 こうして親は、コロリと人がかわったように、現状に納得するようになる。だから『フリップ・フロ
ップ理論』という。この理論は、私がオーストラリアにいるころ、大学の講義で知った理論であ
る。(そのため、日本では、まだ紹介されていないと思う。インターネットで検索してみたが、こ
の言葉のあるサイトは、見つからなかった。)

 なお、もう少し詳しくこの理論を説明しておくと、こうなる。

 ここにも書いたように、本物の有神論者や、無神論者は、静かに落ちついている。多少のこ
とでは、ビクともしない。動揺もしない。

 しかし中には、ワーワーと騒ぐ、有神論者や無神論者がいる。たとえばだれかが、神の存在
を否定したりすると、「君は、何てこと言う!」と、猛烈にそれに反発したりする。

 一見、強固な有神論者に見えるかもしれないが、それだけ心の中は、不安定。このタイプの
人にかぎって、何かのきっかけで、コロリと、無神論者になったりする。

 で、この理論を応用すると、こうなる。

 子どもの受験競争で、ワーワー騒ぐ親ほど、何かのきっかけで、今度は、受験競争否定論者
になるということ。子どもの受験期が終わったりすると、「受験なんて、無意味です」「私は、子ど
もに、勉強しろなんて言ったことはありません」などと、ことさら口に出して言うようになる。

 それが悪いというのではない。これも、親の一つの心理ということ。




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13

●武士道

トム・クルーズの『ラスト・サムライ』がヒットしたこともある。NHKの『新撰組』もそうだ。そのせ
いか、今、日本は、武士道一色といってもよい。お茶の水女子大教授の、FM氏などは、「日本
が誇るべき民族精神である」(「文言春秋」04・05)などと、賞賛している。

 しかし武士道とは、いったい何なのか。たとえば今、話題の、『新撰組』。

 あの新撰組が、京都の町に現れたとき、京都の町は、恐怖のどん底に叩き落された。新撰
組は、我がもの顔に刀を振り回し、自分たちの意に沿わない者を容赦なく殺していった。

そういう連中が、いかに恐ろしい存在であったは、数年前に佐賀県で起きた『バス・ハイジャッ
ク事件』を思い出してみればわかる。あのときは、刃渡り40センチ足らずの包丁をもった少年
に、日本中が震えた。

 そこで武士道。

 江戸時代には、士農工商という、明確な身分制度がしかれていた。この身分制度でいう、
「士」が、武士ということになる。つまりは、刀をもった、為政者。日本人全体としてみれば、数
パーセントに満たない人たちであった。

 大半の日本人は、その武士の圧制、暴力の影におびえながら、細々と生活をしていた。つま
り江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代
であった。私たちがいう武士とは、そういう時代の「武士」であったことを、忘れてはならない。

 こんな話を、15年ほど前、山村に住む90歳(当時)くらいの女性に聞いた。

 明治時代の終わりごろ。江戸時代が終わって、20〜30年近くもたっていたというが、そのと
きですら、まだ、旧武士たちは士族と呼ばれ、刀をさして歩いていたという。

 その人が歩いてくると、遠くからカチャカチャと、鞘(さや)が、当たる音がしたという。すると、
皆は、道の脇により、頭を地面にこすりつけるようにして、ひざまづいたという。

 「私が子どものころはそうだったよ」と、その女性は笑っていたが、武士道には、そういう側面
がある。

 私たち日本人は、こういう話を聞くと、自分の視点を、武士の目の中に置いて、考えがちであ
る。「頭をさげた平民」ではなく、「頭をさげさせた武士」の目を通して、日本を見る。

 これは日本人独特の、オメデタさと考えてよい(失礼!)。今でも、つまり2004年の今でも、
「私の先祖は、旧M藩の家老でした」「私の先祖は、官軍の指揮官でした」などと、自慢する人
は多い。残りのほとんどの先祖は、町民や農民であったことについては、目をつぶる。

 「私の先祖は、武家だった」と主張するのは、その人の勝手。またそれを誇りに思うのも、そ
の人の勝手。しかしそれがどうしたというのか? あるいは、そんなことは、そもそも、誇るべき
ことなのか。

 江戸時代が終わって、140年近くもたったいるのに、いまだに、そういうことを言うというの
は、つまりは、それくらい、あの江戸時代という時代が、恐怖政治の時代であったということを
意味する。民衆は、骨のズイまで、魂を抜かれた。一つの例をあげよう。

+++++++++++++++++

●新居の関所

 浜名湖の南西にある新居町には、新居関所がある。関所の中でも唯一現存する関所という
ことだが、それほど大きさを感じさせない関所である。

江戸時代という時代のスケールがそのまま反映されていると考えてよいが、驚くのは、その「き
びしさ」。

関所破りがいかに重罪であったかは、かかげられた史料を読めばわかる。つかまれば死罪だ
が、その関所破りを助けたもの、さらには、その家族も同程度の罪が科せられた。

新居の関所破りをして、伊豆でつかまった男は、死体を塩漬けにして新居までもどされ、そこで
さらにはりつけに処せられたという記録も残っている。移動の自由がいかにきびしく制限されて
いたかが、この事実ひとつをとっても、よくわかる。が、さらに驚いたことがある。

 あちこちに史料と並んで、その史料館のだれかによるコメントが書き添えてある。その中の
随所で、「江戸時代は自由であった」「意外と自由であった」「庶民は自由を楽しんでいた」とい
うような記述があったことである。

当然といえば当然だが、こうした関所に対する批判的な記事はいっさいなかった。私と女房
は、読んでいて、あまりのチグハグさに思わず笑いだしてしまった。「江戸時代が自由な時代だ
ったア?」と。

 もともと自由など知らない人たちだから、こうしたきゅうくつな時代にいても、それをきゅうくつ
とは思わなかっただろうということは、私にもわかる。あの北朝鮮の人たちだって、「私たちは
自由だ」(報道)と言っている。あの人たちはあの人たちで、「自分たちの国は民主主義国家
だ」と主張している。(北朝鮮の正式国名は、朝鮮人民民主主義国家。)

現在の私たちが、「江戸時代は庶民文化が花を開いた自由な時代であった」(パネルのコメン
ト)と言うことは、「北朝鮮が自由な国だ」というのと同じくらい、おかしなことである。

私たちが知りたいのは、江戸時代がいかに暗黒かつ恐怖政治の時代であったかということ。
新居の関所はその象徴ということになる。たまたま館員の人に説明を受けたが、「番頭は、岡
崎藩の家老級の人だった」とか、「新居町だけが舟渡しを許された」とか、どこか誇らしげであ
ったのが気になる。

関所がそれくらい身分の高い人(?)によって守られ、新居町が特権にあずかっていたというこ
とだが、批判の対象にこそなれ、何ら自慢すべきことではない。

 たいへん否定的なことを書いたが、皆さんも一度はあの関所を訪れてみるとよい。(そういう
意味では、たいへん存在価値のある遺跡である。それはまちがいない。)そしてその関所をと
おして、江戸時代がどういう時代であったかを、ほんの少しでもよいから肌で感じてみるとよ
い。

何度もいうが、歴史は歴史だからそれなりの評価はしなければならない。しかし決して美化して
はいけない。美化すればするほど、時代は過去へと逆行する。そういえば関所の中には、これ
また美しい人形が八体ほど並べられていたが、まるで歌舞伎役者のように美しかった。

私がここでいう、それこそまさに美化の象徴と考えてよい。

++++++++++++++++++++

もう一つ、こんなエッセーを書いたことがある。
(中日新聞、投稿済み)

++++++++++++++++++++

「偉い」を廃語にしよう
●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう
日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人(respected man)」と言う。よく似
たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。

日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人と
は言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、こう
言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」と聞くと、「信
長は天下を統一したから」と。

中学校で使う教科書にもこうある。「信長は古い体制や社会を打ちこわし、……関所を廃止し
て、楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読む
と、信長があたかも自由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?   
 

実際のところ、それから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒かつ
恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極貧の生
活を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。

由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は関係
者はもちろんのこと、親類縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)安部川近くの
小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いている。

家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実は、
これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこであなた
自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。もしあなたが
地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊を、いまだに心
のどこかで引きずっていることになる。

そこで提言。

「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世主義がは
びこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治にそれが利用さ
れると、とんでもないことになる。

少し前、幼稚園児を前にして、「私、日本で一番偉い人」と言った首相すらいた。そういう意識
がある間は、日本の民主主義は完成しない。

+++++++++++++++++++++

●武士道とは

 武士道を信奉する人たちのバイブルとなっているのが、新渡戸稲造が書いた、『武士道』(明
治32年)である。新渡戸稲造といえば、5000円札の肖像画にもなっているから、知らない人
はいない。明治時代の終わりごろ活躍した人物で、ほかにも『随想録』(明治40年)に書いたり
している。

 もともとは、幕末の南部藩(岩手県)の武士の子弟として生まれ、札幌農学校を卒業したあ
と、アメリカにも留学している。

 その武士道でもっとも重んじるのが、「名誉」ということになる。新渡戸稲造も、『武士道』の中
で、こう書いている。

 「武士は、命よりも高価であると考えられることが起きれば、極度の平静と迅速をもって、命
をすてる」と。

 要するに、名誉のためには、死をも覚悟せよ、と。

 新渡戸稲造が、いつの時代の武士を念頭に置いたのかはしらないが、幕末の武士たちは、
堕落し放題。権威と権力の座に安住し、その中身と言えば、完全にサラリーマン化していた。
サラリーマン化が悪いと言っているのではない。「名誉のために、死をも覚悟した」というのは、
あまりにも大げさ。

 もっともこの心は、やがて日本の軍国主義の精神的根幹にもなっていった。「死して虜囚(り
ょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」とういう、あれである。しかしその言葉の裏で、いかに多
くの日本人が、犠牲になったことか。あるいはいかに多くの外国人が、犠牲になったことか。

 もっとも愛国主義が最初にあり、それから生まれた名誉のために死ぬというのであれば、ま
だ納得できる。正義、あるいは、自由や平等のために死ぬというのであれば、まだ納得でき
る。しかし武士道でいう『名誉』とは、まさに主君もしくは、「家」に対する、忠誠心をいった。

 ほかにも、武士道には、「義」「勇」「仁」という三つの柱があり、さらに「礼節」「誠実」「名誉」
「忠義」「孝行」「克己」の、人が守るべき、徳目として、並べられている。「名誉」それに、それか
ら生まれる「恥」の概念も、こうした徳目から、生まれた。

 もちろんある側面においては、武士道は魅力的であり、それなりに納得できる部分もある。し
かし武士道が、封建時代というあの時代の「負の遺産」を支えたもの事実。「影の部分」と言っ
てもよい。もっとわかりやすく言えば、武士道がもつ「負の側面」に目を閉じたまま、武士道を、
一方的に礼さんするのは、たいへん危険なことでもある。

 たとえばここでいう「義」「仁」にしても、つきつめれば、「仁義の世界」。つまり、現代風に言え
ば、ヤクザの世界ということになる。

 また、名誉についても、『武士は食わねど、高楊枝(ようじ)』(武士というのは、食べるものが
なくて空腹でも、満腹のフリをして、名誉を守った)という、諺(ことわざ)も、ある。

 果たしてそういうメンツや見栄にこだわることも、武士道なのだろうか。武士道を礼さんする
人は、武士道を知らなければ、「人の正義」はないようなことを言う。しかしこの私などは、武士
道とはまったく無縁。しかしそんな私でも、礼節もあれば、名誉もある。誠実、忠義、孝行、克
己についても、自分なりに考えている。

 たしかに、今の世相は、混乱している。それはわかる。しかしそれは当然のことではないか。

 日本は、江戸時代という封建主義時代。明治、大正、昭和という軍国主義時代。そして戦後
の官僚主義時代。こういった時代を、それぞれ経験しながら、そのつど、過去の清算をしてこ
なかった。反省もしなかった。

 だから、今の若い人たちを中心に、「わけのわからない世界」になってきた。

 それはわかるが、で、こうした世相に対する考え方は、二つある。

 一つは、過去にもどるという考え方。よくても悪くても、そこには、一つの「主義」がある。最近
もてはやされている武士道も、その一つかもしれない。

 もう一つは、新しい主義を、創造していくという考え方。当然のことながら、私は、この後者の
考え方を、支持する。またそのために、こうしてモノを書いている。それについては、これからも
追々書いていくが、ともかくも、今の段階では、そういうことになる。

 最後に、忘れてならないのは、私の先祖も、あなたの先祖も、その武士階級にしいたげられ
た、町民や農民であったこと。もし仮に今でもあの封建時代がつづいていたとしたら、私やあな
たも、今でも、ほぼまちがいなく、町民や農民であるということ。

 そういう私やあなたが、武士のまねごとをして、どうなるというのか? 武士でもない私やあな
たが、武士道を説いて、どうなるのか。そのあたりを、じっくりと考えなおしてみてほしい。

今でこそ、偉人としてたたえるが、新渡戸稲造にしても、武士という特権階級に生まれ育った人
物である。アメリカから帰ってきたあとも、京都帝国大学教授、第一高等学校校長、東京女子
大の初代学長、国際連盟事務局次長などを歴任している。まさにエリート中のエリート。時の
権力や権威をほしいままに手に入れた人物である。その事実を、忘れてはならない。
(はやし浩司 武士道 新渡戸 義 勇 仁 仁義の世界 仁義)

【恥・名誉論】

 懸命に生きる。それがすべて。
 恥なんて、考えるな。そんなもの、クソ食らえ!
 あなたは、あなた。どこまでいっても、
 あなたは、あなた。

 懸命に生きる。それがすべて、
 名誉なんて、考えるな。そんなもの、クソ食らえ!
 あなたは、あなた。どこまでいっても、
 あなたは、あなた。

 恥や名誉があるとするなら、
 それは、自分に対してのもの。
 懸命に生きなかったことを恥じろ。
 懸命に生きたことを、名誉に思え。

 これからに私たちは、そういう生き方をしよう。
(040418)

【追記】

 現在の今でも、こうした武士道の片鱗(へんりん)は、ヤクザの世界に見ることができる。そこ
は、まさに仁義の世界。

 ここにも書いたように、武士道の世界にも、それなりのよさもある。それは否定しない。しかし
同時に、あの封建時代がもっていた、負の側面にも、目を向けねばならない。武士がいう、武
士道とやらの陰で、いかに多くの民衆が、しいたげられたことか。恐怖におののいたことか。一
部の特権階級を守るために、犠牲になったことか。

 決して、武士道を、無批判なまま美化してはいけない。それが私の考えである。




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14

●受験競争の弊害

 精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場で、
他人の心情でものを考えられるかということ。つまり他人への、協調性、共鳴性、同調性、調
和性などによって決まる。

 言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。

 そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それだけ
精神の完成度が、低いということになる。さらに言いかえると、このあたりを正確に知ることに
より、その人の精神の完成度を知ることができる。

 子どもも、同じに考えてよい。

 子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。しかしこれは遺伝
子と、発育環境の問題。

 それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。が、ここ
でいくつかの問題にぶつかる。

 一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばんでし
まう要因があること。

 二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面化の
自覚がないこと。

 内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。この受験競争は、どこまでも個人的なも
のであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。子どもにかぎらず、利己的であればあるほ
ど、当然、「利他」から離れる。そしてその結果として、その子どもの内面化が遅れる。

 ……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そういう側面
がある。ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受験競争をす
る子どももいるのはいる。しかしそういう子どもは、例外。

(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれている。
『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を導く』など。
それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自己正当化している
だけ。

 その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に高
邁な人たちかというと、それは疑わしい。疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知っている。
こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)

 実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。

(1)利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
(2)打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
(3)功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
(4)独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
(5)追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
(6)見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
(7)人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)

 こうして弊害をあげたら、キリがない。

 が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。親自
身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたたきこまれて
いる。それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方をすることができな
い。

 もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的。迎合
的。

 そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。い
や、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。今でも、
農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。

 一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、どこか
心が冷たい。いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうでないと、都会
では、生きていかれない? 

これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。しかしこうした印象をもつのは、私だ
けではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。

 子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。避けてはとおれない
こと。それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊してしまう。
しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうでないとのとでは、大きな
違いが出てくる。

 一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほしい。




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15

【日本人論】

●復古主義

 当然と言えば、当然だが、ある文芸作家(MS氏、雑誌「B」)が、こう言った。「学校での、国
語教育の時間をふやせ」と。「最近の子どもたちは、ロクに満足な作文も書けない」と。

 しかしこの論法は、おかしい。その第一。何でもかんでも、問題があれば、「すぐ学校で」とい
う発想。授業時間をふやせば、それで子どもたちの作文力が向上するというものでもあるま
い。

 こうした考え方は、学校万能主義、学校神話の信奉者が、好んでする発想である。

 つぎに、最近の子どもたちの国語力が低下しているのは、国語(日本語)そのものが、質的
に変化しているからである。テレビや携帯電話。さらにはパソコンの影響も大きい。加えて日本
語そのものがもつ、欠陥もある。この日本では、わずか100年前に書かれた文章ですら、辞
書や翻訳なしでは、読むことができない。

 三つ目に、言葉というのは、民衆が決めるもの。一部の学者や、作家が、決めるものではな
い。もっとわかりやすく言えば、成り行きに任せるしかない。

 で、私は、その文芸作家の人が書いた原稿を改めて、読みなおしてみた。が、「作家」という
には、お粗末な文章。くどくて、しかも読みづらい。「こんな文章でも、作家なの?」というような
文章である。

 ということで、では、どうすればよいのか。

 私は、子どもの国語力は、親の会話能力によって決まると、かねてより、主張してきた。それ
について書いたのが、つぎの原稿である(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++++++

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう二五年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思
われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うか
を調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない……ある男の子(小二)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」と
いうような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛
隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこ
う言った。

「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何度か
聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

(2)使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで
会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「ま
あまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

(3)正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの
子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のよ
うにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上に
イ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのこ
とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダ
メネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる
 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。毎
日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしてい
て、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。

こういうケースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。
もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。
「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水
のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。
内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を
自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」と
して認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。そ
んなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的には「口
を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って
いる人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言
った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。

しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意
味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかってほしかった。

+++++++++++++++++++++

 もう一つ、つけ加えるなら、こうも言える。

 その文芸家は、「最近の子どもの国語力の低下は、文部科学省と日教組がグルになって、
『ゆとり教育』をしたのが原因」(同・雑誌)と書いている。

 もしそうなら、自分自身は、明治時代に文体で、あるいは江戸時代や平安時代の文体で、文
章を書けばよい。自分自身も、大きな流れの中で、昭和の文体で、文章を書いている。明治の
文豪たちが、その文芸家の書いた文章を読んだら、きっと、同じことを言うにちがいない。

 「最近の文芸家たちの文章は、なっていない!」と。

 たしかに最近の子どもたちが使う日本語は、メチャメチャ。しかしそう思うのは、「私」であっ
て、「子どもたち」ではない。子どもたちにとっては、子どもたちの使う日本語のほうが、使い勝
手がよいのだ。

 私たちの価値観を、一方的に押しつけても意味はない。なぜなら、私たち旧世代は、やが
て、先に死ぬ。戦っても、勝ち目はない。

 で、これからの日本語は、さらに短文化する。漢字も少なくなる。感覚的な表現が、ふえてく
る。新語、造語も多くなる。たとえば、こうなる。

++++++++++++++++

 困るよな。言葉。押しつけられても。
 ジジ臭い文書。読みたくないよな。
 わかりやすく書けよ。でないと、読まない。
 文芸家の価値観。それは文芸家のもの。
 その気持ち、わかるけど。
 でもさ、日本語、みんなのものだし。
 上の人が決めても、意味ないよな。
 学校での国語の時間、ふやしても、
 変らないよ。
 だいたい、本なんて、読まないもん。

++++++++++++++++

 日本語というのは、もともと今のモンゴルあたりがルーツだという。そのあたりで生まれた言
語が、朝鮮半島を経て、日本に入ってきた。入ってきたというより、日本に渡ってきた朝鮮民族
とともに、日本にもたらされた。そのためモンゴル語、朝鮮語、それに日本語は、たいへんよく
似ている。

 たとえば朝鮮語で、「私は、はやし浩司です」は、「ナヌ(私)エ(は)、はやし浩司イムニダ(で
す)」となる。「は」も「です」も、音こそちがえ、語法は同じである。

 そこへ中国語が入ってきた。漢字である。今、私たちが使っている、ひらがなにせよ、カタカ
ナにせよ、その漢字の簡略版にすぎない。

 だから日本語という日本語は、もともと、ないに等しい。悲しいかな、これが事実であり、それ
ゆえに、日本語という日本語に、それほど、こだわる必要はない。自由に使って、自由に改良
して、自由に話せばよい。「日本語は、こうでなければならない」と考えるほうが、おかしい。

 ただ残念なのは、そうした変化の流れの中で、やがてすぐ、私がこうして今書いている文章で
すら、理解されなくなるだろうということ。100年後の人たちでさえ、私の文章を読むとき、辞書
を使うようになるだろう。つまり、私の文章の「命」は、この先、10年とか、20年程度しかないと
いうこと。

 考えてみれば、これほど、さみしいことはない。(もっとも、100年後まで残さなければならな
いような文章でもないから、私はかまわないが……。)

 つぎの世代の人たちが、私の文章を読み、その上で、ものを考え、また新しい文章を書いて
くれればよい。つまりこうして、何らかの形で、私の思想のかげろうのようなものが、つぎの世
代に伝わっていけばよい。

 私が今、こうして書いている文章だって、私を取り巻く多くの人たちから受けついだ、「かげろ
う」のかたまりのようなものではないか。だからあまり、ぜいたくは言わない。大切なことは、文
章ではなく、中身。中身ではなく、つぎの世代の人たちが、私たちの経験や知識を踏み台にし
て、よりよい人生をい送ること。

 言うまでもなく、文章は、そのための一手段でしかない。

 しかし、まあ、あえて言うなら、子どもの国語力を伸ばしたかったら、そしてその基礎をつくり
たかったら、親、とくに母親が、子どもの前では、正しい日本語で話すこと。「ほらほら、カバ
ン!」ではなく、「あなたはカバンをもっていますか」と。そういう会話力が、子どもの国語力の基
礎となるということ。
(はやし浩司 子どもの国語力 国語 会話能力)

+++++++++++++++++

以前、こんなことを書きました。

+++++++++++++++++

日本の教科書検定

●まっちがってはいない。しかしすべてでもない。
オーストラリアにも、教科書の検定らしきものはある。しかしそれは民間団体によるもので、強
制力はない。しかもその範囲は、暴力描写と性描写の二つの方面だけ。特に「歴史」について
は、検定してはならないことになっている(南豪州)。

 私は1967年、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。プサン港へ着いたときには、ブラ
スバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日一日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻
撃の矢面に立たされた。

私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏であったこともある。韓国を代表する歴史学者で
ある。

私はやがて、「日本の教科書はまちがってはいない。しかしすべてを教えていない」と実感し
た。たとえば金氏は、こんなことを話してくれた。

「奈良は、韓国から見て、奈落の果てにある都市という意味で、奈良となった。昔は奈落と書い
て、『ナラ』と発音した」と。今でも韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。もし氏の言うこと
が正しいとするなら、日本の古都は、韓国人によって創建された都市ということになる。

 もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし一歩、日本を出る
と、この種の話はゴロゴロしている。

事実、欧米では、「東洋学」と言えば、中国を意味し、その一部に韓国学があり、そのまた一部
に日本学がある。そして全体として、東洋史として教えられている。(フランスなどでは、日本語
学科は、朝鮮学部の中の一つに組みこまれている。)

 さらに、日本語では、「I」のことを、「ボク」という。「YOU」のことを、「キミ」という。

 これについても、もともとは、「朴氏朝鮮」の「朴(ボク)」、「金氏朝鮮」の「金(キミ)」が、ルー
ツだという説もある。日本へ渡ってきた朝鮮民族が、「私は、ボク氏だ」「あなたは、キミ氏か」と
言っている間に、「ぼく」「きみ」という言葉が生まれたという。

 話は変わるが、小学生たちにこんな調査をしてみた。「日本人は、アジア人か、それとも欧米
人か」と聞いたときのこと。大半の子どもが、「中間」「アジア人に近い、欧米人」と答えた。

中には「欧米人」と答えたのもいた。しかし「アジア人」と答えた子どもは一人もいなかった(約
五〇名について調査)。先日もテレビの討論番組を見ていたら、こんなシーンがあった。アフリ
カの留学生が、「君たちはアジア人だ」と言ったときのこと。一人の小学生が、「ぼくたちはアジ
ア人ではない。日本人だ!」と。

そこでそのアフリカ人が、「君たちの肌は黄色ではないか」とたたきかけると、その小学生はこ
う言った。「ぼくの肌は黄色ではない。肌色だ!」と。

二〇〇一年の春も、日本の教科書について、アジア各国から非難の声があがった。韓国から
は特使まで来た。いろいろいきさつはあるが、日本が日本史にこだわっている限り、日本が島
国意識から抜け出ることはない。

+++++++++++++++++

もう一作、こんな原稿を書いたことも
あります。
少し過激な内容ですが……。

+++++++++++++++++

人間の誇りとは……

●私はユネスコの交換学生だった

 一九六七年の夏。私たちはユネスコの交換学生として、九州の博多からプサンへと渡った。
日韓の間にまだ国交のない時代で、私たちはプサン港へ着くと、ブラスバンドで迎えられた。
が、歓迎されたのはその日、一日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされ
た。

私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏だったこともある。韓国を代表する文化学者であ
る。私たちは氏の指導を受けるうち、日本の教科書はまちがってはいないが、しかしすべてを
教えていないことを実感した。そしてそんなある日、氏はこんなことを話してくれた。

●奈良は韓国人が建てた?

 「日本の奈良は、韓国人がつくった都だよ」と。「奈良」というのは、「韓国から見て奈落の果て
にある国」という意味で、「奈良」になった、と。

昔は「奈落」と書いていたが、「奈良」という文字に変えた、とも。

現在の今でも、韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。もちろんこれは一つの説に過ぎな
い。偶然の一致ということもある。しかし結論から先に言えば、日本史が日本史にこだわってい
る限り、日本史はいつまでたっても、世界の、あるいはアジアの異端児でしかない。

日本も、もう少しワクを広げて、東洋史という観点から日本史を見る必要があるのではないの
か。ちなみにフランスでは、日本学科は、韓国学部の一部に組み込まれている。またオースト
ラリアでもアメリカでも東洋学部というときは、基本的には中国研究をさし、日本はその一部で
しかない。

●藤木Sの捏造事件

 一方こんなこともある。藤木Sという、これまたえらいインチキな考古学者がいた。彼が発掘し
たという石器のほとんどが捏造(ねつぞう)によるものだというから、すごい。しかも、だ。そうい
うインチキをインチキと見抜けず、高校の教科書すら書き換えてしまった人たちがいるというか
ら、これまたすごい。

たまたまその事件が発覚したとき、ユネスコの交換学生の同窓会がソウルであった(一九九九
年終わり)。日本側のOBはともかくも、韓国側のOBは、ほとんどが今、大企業の社長や国会
議員をしている。

その会に主席した友人のM氏は帰ってきてから私の家に寄り、こう話してくれた。「韓国人は
皆、笑っていたよ。中国や韓国より古い歴史が日本にあるわけがないとね」と。当時の韓国の
マスコミは、この捏造事件を大きく取りあげ、「そら見ろ」と言わんばかりに、日本をはげしく攻
撃した。M氏は、「これで日本の信用は地に落ちた」と嘆いていた。

●常識と非常識

 私はしかしこの捏造事件を別の目で見ていた。一見金素雲氏が話してくれた奈良の話と、こ
の捏造事件はまったく異質のように見える。

奈良の話は、日本人にしてみれば、信じたくもない風説に過ぎない。いや、一度、私が金素雲
氏に、「証拠があるか?」と問いただすと、「証拠は仁徳天皇の墓の中にあるでしょう」と笑った
のを思えている。

しかし確たる証拠がない以上、やはり風説に過ぎない。これに対して、石器捏造事件のほう
は、日本人にしてみれば、信じたい話だった。「石器」という証拠が出てきたのだから、これは
たまらない。事実、石器発掘を村おこしに利用して、祭りまで始めた自治体がある。

が、よく考えてみると、これら二つの話は、その底流でつながっているのがわかる。金素雲氏
の話してくれたことは、日本以外の、いわば世界の常識。一方、石器捏造は、日本でしか通用
しない世界の非常識。世界の常識に背を向ける態度も、同じく世界の非常識にしがみつく態度
も、基本的には同じとみてよい。

●お前は日本人のくせに!

 ……こう書くと、「お前は日本人のくせに、日本の歴史を否定するのか」と言う人がいる。事
実、手紙でそう言ってきた人がいる。「あんたはそれでも日本人か!」と。

しかし私は何も日本の歴史を否定しているわけではない。また日本人かどうかと聞かれれば、
私は一〇〇%、日本人だ。日本の政治や体制はいつも批判しているが、この日本という国土、
文化、人々は、ふつうの人以上に愛している。

このことと、事実は事実として認めるということは別である。えてしてゆがんだ民族意識は、ゆ
がんだ歴史観に基づく。そしてゆがんだ民族主義は、国が進むべき方向そのものをゆがめ
る。これは危険な思想といってもよい。

仮に百歩譲って、「日本民族は、誇り高い大和民族である」と主張したところで、少なくとも中国
の人には通用しない。何といっても、中国には黄帝(司馬遷の「史記」)の時代から五五〇〇年
の歴史がある。日本の文字はもちろんのこと、文化のほとんどは、その中国からきたものだ。

その中国の人たちが、「中国人こそ、アジアでは最高の民族である」と主張して、日本人を「下」
に見るようなことがあったら、あなたはそれに納得するだろうか。民族主義というのは、もともと
そういうレベルのものでしかない。

●驚天動地の発見!

 さて日本人も、そろそろ事実を受け入れるべき時期にきているのではないだろうか。これは
私の意見というより、日本が今進みつつある大きな流れといってもよい。

たとえば二〇〇二年のはじめ、日本の天皇ですらはじめて皇室と韓国の関係にふれ、「ゆか
り」という言葉を使った。「天皇家と韓国は、歴史的に関係がある」という意味で、天皇は、そう
言った。これに対して韓国の金大統領(当時)は、「勇気ある発言」(報道)とたたえた(一月)。

さらに同じ月、研究者をして「驚天動地」(毎日新聞大見出し)させるような発見が奈良県明日
香村でなされた。明日香村のキトラ古墳で、獣頭人身像(頭が獣で、体が人間)の絵が見つか
ったというのだ。詳しい話はさておき、毎日新聞はさらに大きな文字で、こう書いている。

「百済王族か、弓削(ゆげ)皇子か」と。京都女子大学の猪熊兼勝教授は、「天文図、四神、十
二支の時と方角という貴人に使われる『ローヤルマーク』をいくつも重ねている」とコメントを寄
せている。

これはどうやらふつうの発掘ではないようだ。それはそれとして、が、ここでもし、「百済王族
か、弓削(ゆげ)皇子か」の部分を、「百済王族イコール、弓削(ゆげ)皇子」と解釈したらどうな
るか。弓削皇子は、天武天皇の皇子である。もっと言えば、天武天皇自身が、百済王族の一
族ということになる。だから毎日新聞は、「研究者ら驚天動地」という大見出しを載せた。

●人間を原点に

 話はぐんと現実的になるが、私は日本人のルーツが、中国や韓国にあったとしても、驚かな
い。まただからといって、それで日本人のルーツが否定されたとも思わない。

先日愛知万博の会議に出たとき、東大の松井孝典教授(宇宙学)は、こう言った。「宇宙から
見たら、地球には人間など見えないのだ。あるのは人間を含めた生物圏だけだ」(二〇〇〇年
一月一六日、東京)と。

これは宇宙というマクロの世界から見た人間観だが、ミクロの世界から見ても同じことが言え
る。今どき東京あたりで、「私は遠州人だ」とか「私は薩摩人だ」とか言っても、笑いものになる
だけだ。いわんや「私は松前藩の末裔だ」とか「旧前田藩の子孫だ」とか言っても、笑いものに
なるだけ。

日本人は皆、同じ。アジア人は皆、同じ。人間は皆、同じ。ちがうと考えるほうがおかしい。私た
ちが生きる誇りをもつとしたら、日本人であるからとか、アジア人であるからということではなく、
人間であることによる。もっと言えば、パスカルが「パンセ」の中で書いたように、「考える」こと
による。松井教授の言葉を借りるなら、「知的生命体」(同会議)であることによる。

●非常識と常識

 いつか日本の歴史も東洋史の中に組み込まれ、日本や日本人のルーツが明るみに出る日
がくるだろう。そのとき、現在という「過去」を振り返り、今、ここで私が書いていることが正しい
と証明されるだろう。そしてそのとき、多くの人はこう言うに違いない。

「なぜ日本の考古学者は、藤木Sの捏造という非常識にしがみついたのか。なぜ日本の歴史
学者は、東洋史という常識に背を向けたのか」と。

繰り返すが一見異質とも思われるこれら二つの事実は、その底流で深く結びついている。(20
02・1・23)

++++++++++++++++++++

 この原稿は、私がちょうど2年前に書いたもの。今、読みかえしてみると、「かなり過激なこと
を書いたな」と思わないわけでもない。

 しかしものごとは、常識で考えるべきではないのか。世界の歴史学者は、みな、こう言ってい
る。「日本が、日本史にこだわっているかぎり、日本は、いつまでたっても、アジアの孤児でしか
ないだろう。日本も、日本史を、東洋史の中の一部としてみるべきではないのか」と。

 日本や、日本人だけが、特別な民族だと思いたいという気持はよくわかる。世界の、どの民
族だって、多かれ、少なかれ、そう思っている。しかしそういう思いにこだわればこだわるほど、
日本や日本人は、世界の孤児になってしまう。

 それでよいのか。それとも、それとも、それではよくないのか。程度の問題もあるかもしれな
い。だから白黒はっきりする必要もないかもしれない。

「まあ、そういう意見もあるのか」程度にとらえてもらってもよい。私自身、それほど、深刻にこ
の問題を考えているわけではない。あとは、読者のみなさんの判断ということになる。
(はやし浩司 日本人 日本語 民族)
(040421)




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16

●生きることを考える

++++++++++++++++

食べなければ、損なのか?
食べたら、損なのか?
食べ放題の店で、料理を食べながら、
私は、そんなことを考えた。

しかしこの問題は、「生きる」ことにも
関連している。

残り少ない人生を、どう生きるか。
私はそんなことまで考えた。

++++++++++++++++

●貪欲さ

 今日(4・21)、東名高速道路のインター近くにできた、「ED」というレストランへ行った。食べ
放題の店である。平日のランチは、999円(税込み)!

 大きな店で、座席数は、数百はある。私とワイフは、店員さんに案内されて、奥のほうの禁煙
席についた。そして、内心で「食べるぞ!」と思いながら、料理の並ぶカウンターに向った。

 料理は、寿司、焼肉のほか、中華料理、サラダ、ケーキなど。スパゲッティも、ラーメンも、カ
レーライスもある。それにイカ、ホタテなどの海鮮料理。どれも食べ放題。料理の前に立ったと
たん、私は、「安い!」と、感じた。「料金が安い」という意味である。

 私は、寿司を、5〜6個。それにサラダと、小さなケーキを選んだ。ふだんの昼食なら、この程
度で、満腹になる。回転寿司屋の寿司を食べることもあるが、たいてい5皿で、腹はいっぱい
になる。

 先にテーブルについて待っていると、ワイフも、同じようなものを選んでもってきた。

私「999円なんて、安いね」
ワイフ「ホント。そんな値段でやっていかれるのかしら」
私「ぼくたちは量が少ないけど、高校生たちがやってきたら、赤字だよ」
ワイフ「そうねえ……。高校生は、たくさん食べるからね」と。

 土日でも、1450円という。ふつう食べ放題の店というのは、料理の質は、あまりよくない。し
かしそのEDという店は、そうでない。私たちは食べなかったが、肉も、ちゃんとした肉を使って
いる。

 私が、「20年前のぼくだったら、むしゃむしゃと、肉を食べただろうね」と言うと、ワイフも、「あ
のころのあなたは、たくさん食べたからね」と。

 が、こうした食べ放題の店に入ると、心のどこかに、「たくさん食べなければ損」という、いやし
い根性が生まれる。しかし考えてみれば、これはおかしな根性だ。

 「たくさん食べなければ損」というのは、金銭上の問題である。しかし健康上の問題を考える
なら、ほどほどのところで、やめたほうがよい。たくさん食べたところで、よいことは何もない。コ
レステロール値があがるだけ。病気になるだけ。

 しかし人間というのは、おかしなものだ。ふつうなら、つまりふだんの昼食なら、ある程度のと
ころでやめるのだが、やはり、「もっと食べておこう」という心理が、どうしても働いてしまう。「ま
だ、999円分も食べていないぞ」とか、そんなふうに考えてしまう。

 そこで私は席を立って、今度は、サラダをどっさりともってきた。「サラダなら、太らないから…
…」と。多分、ワイフも同じように思ったらしい。私が席にもどると、自分でも、何かを取りに行っ
た。

 いろいろなことを考えた。

 「世界には、食べるものがなくて困っている国もあるのに……」とか、「この飽食は何か!」と
か。

 そんなとき、一人、丸々と太った女性が、目についた。私のななめうしろの席に、すわってい
た。あごと胸がそのままつながり、腹に、大きな袋をぶらさげているような感じの女性だった。
年齢は、30歳くらいだった。黒いTシャツを着ていたが、そのTシャツが今にもはじけて、破れ
そうな感じがした。

 その女性は、わき目もふらず、いや、ときどき、チラチラと周囲の人たちに視線をなげかけな
がら、まさに一心不乱に食べつづけていた。

 ものすごい食欲である。「食欲」というよりは、胃の中に、食べ物を押しこんでいるといったふ
う。かきこんでいるといったふう。私が見ていたとき、ちょうどショートケーキ、3、4個を食べて
いたが、一個を丸ごと口に入れ、パクパクとそのままのみこんでいた。

 再び、私は、同じことを考えた。「食べなければ損なのか。それとも食べれば損なのか」と。

 食べ物は、モノとはちがう。いくら安いからといっても、たくさん食べれば、体をこわす。しかし
その女性は、明かに、「食べなければ損」と考えている様子だった。

 一度、ワイフに、「あの女性を見ろ」と、目で合図を送った。同時に、あきれた表情をしてみせ
た。ワイフも、同じように感じたらしい。フーッとため息をついたあと、視線を下に落した。

●おしん

 人は生きるために、食べる。それはわかる。そして食べるために、働く。それもわかる。が、
ここで大きな問題にぶつかる。

 生きるために働く人間が、いつの間にか、働くために生きるようになる。一つの例をあげて、
考えてみよう。

 今から20年ほど前、NHKの朝の連続ドラマに、『おしん』という番組があった。たいへんな人
気で、ほぼ日本中の人たちが、その番組を見た。決して、大げさな言い方ではない。まさに国
民的番組と言ってよいほどの番組だった。

(おしん……1983〜4年にかけて、NHKの朝の連続ドラマとして、放映された。平均視聴率
は、52・6%。最高視聴率は、62・9%。テレビ視聴率調べサイト調査)

 そのおしんは、最初、生きるために働く。懸命に働く。が、いつしか、そのまま今度は、働くた
めに生きるようになる。自分の店をどんどん大きくする。あちこちに支店を出す。さらに商売を
大きく、広げる。

 そのおしんは、5年ほど前に倒産した、Yジャパンの社長の、W氏の母親のKさんが、モデル
だったという。

 もしおしんが、生きるために働くのであれば、ああまで商売を広げる必要はなかった。一度、
近所の商店主たちが、おしんの店に抗議に押し寄せるシーンがあった。大量仕入れによる、
安売り攻勢。おしんの店の周辺の商店は、つぎつぎとつぶれていった。ドラマ『おしん』は、貧し
い女性の物語から、いつしかサクセス・ストリーへと変貌していった。

 私が、当時、その番組を見ていて、不思議に思ったのは、その番組のことではない。私の実
家も、近くに大型のショッピングセンターができてからというもの、斜陽の一途。いつ店を閉め
てもおかしくないという状態に追いこまれた。

 しかし、である。私の母も、『おしん』の大ファン。その時刻になると、テレビの前にすわって、
おしんの活躍ぶりに、一喜一憂していた。ときに、涙までこぼしていた。で、ある日、私は母にこ
う言ったのを覚えている。

 「どうしてあんな、おしんを応援するのか? うちも、ああいう人の食いものになって、苦労して
いるんだろ?」と。すると母は、こう言った。「あのショッピングセンターと、おしんは、関係ない」
と。

 こうしたオメデタサは、日本人独得のものと言ってもよい。長くつづいた封建時代、そしてそれ
につづく官僚政治の中で、骨のズイまで、魂を抜かれている。自分の置かれた世界を、上から
客観的に見ることができない。心のどこかで「おかしい」と思っても、自ら、それを否定してしま
う。そして別の心で、「あわよくば、自分も……」と思ってしまう。

 話をもどすが、おしんは、あるときまでは、生きるために働いた。しかしそのあるとき、自分に
ブレーキをかけなかった。かけないまま、さらにその先まで、突っ走ってしまった。つまり、貪欲
(どんよく)になった。

●貪欲(どんよく)

 食べ放題のレストランで見たあの女性と、『おしん』の中のおしんは、よく似ている。

 生きるために食べる。それが原点であるにもかかわらず、食べなければ損とばかり、食べ物
を口の中にかきこむ女性。

生きるために働く。それが原点であるにもかかわらず、稼がなければ損とばかり、どんどんと
稼ぎつづけるおしん。

 共通点は、その貪欲さである。が、この問題は、そのまま私自身の問題といってもよい。「私
は貪欲でないか?」と問われたとき、自信をもって、「ノー」と言うことは、私にはできない。現
に、そのレストランでは、いつもの二倍程度の量の食事を食べてしまった。

 さらに、私は今、ただわけもわからず、こうして毎日、原稿を書きつづけている。「懸命に生き
ている」といえば、まだ聞こえはよいが、その中身といえば、「貪欲さ」そのものといってもよい。
それに今、こうしておしんを批判したが、もし私にも、そういうチャンスがあれば、おしんと同じこ
とをしていたかもしれない。お金は、嫌いではない。

 となると、人間の貪欲さとは何か? それがよいことなのか、悪いことなのかという判断はさ
ておき、そもそも貪欲さとは、何なのか?

 つづきを書く前に、ヤオハンジャパンのW氏について、数年前、こんな原稿を書いたことがあ
る。それをそのまま掲載する。内容は、一部ダブルが、許してほしい。

++++++++++++++++++++

「おしん」と「マトリックス」

●私の実家は閉店状態に……

 昔、NHKドラマに「おしん」というのがあった。一人の女性が、小さな八百屋から身を起こし、
全国規模のチェーン店を経営するまでになったという、あのサクセス物語である。

九七年に約二〇〇〇億円の負債をかかえて倒産した、ヤオハンジャパンの社長、W氏の母親
のカツさんがモデルだとされている。それはともかくも、一時期、日本中が「おしん」に沸いた。
泣いた。私の実家の母も、おめでたいというか、その一人だった。ちょうどそのころ、私の実家
の近くに系列の大型スーパーができ、私の実家は小さな自転車屋だったが、そのためその影
響をモロに受けた。はっきり言えば、閉店状態に追い込まれた。

●生きるために働くが原点

 人間は生きる。生きるために食べる。食べるために働く。「生きる」ことが主とするなら、「働
く」ことは従だ。しかしいつの間にか、働くことが主になり、生きることが従になってしまった。そ
れはちょうど映画「マトリックス」の世界に似ている。

生きることが本来、母体(マトリックス)であるはずなのに、働くという仮想現実の世界のほう
を、母体だと錯覚してしまう。一つの例が単身赴任という制度だ。

もう三〇年も前のことだが、メルボルン大学の法学院で当時の副学部長だったブレナン教授
が、私にこう聞いた。「日本には単身赴任(短期出張)という制度があるそうだが、法的規制は
何もないのか」と。そこで私が「ない」と答えると、まわりにいた学生までもが、「家族がバラバラ
にされて何が仕事か!」と騒いだ。教育の世界とて例外ではない。

●たまごっちというゲーム

あの「たまごっち」というわけのわからないゲームが全盛期のころのこと。あの電子の生き物
(?)が死んだだけでおお泣きする子どもはいくらでもいた。私が「何も死んでいないのだよ」と
説明しても、このタイプの子どもにはわからない。

一度私がそのゲームを貸してもらい、操作を誤ってそのたまごっちを殺して(?)しまったことが
ある。そのときもそうだ。そのときも子ども(小三女児)も、「先生が殺した!」とやはり泣き出し
てしまった。いや、子どもだけではない。

当時東京には、死んだたまごっちを供養する寺まで現れた。ウソや冗談でしているのではな
い。マジメだ。本気だ。中には北海道からかけつけて、涙ながらに供養している女性(二〇歳く
らい)もいた(NHK「電脳の果て」九七年一二月二八日放送)。

●たかがゲームと言えるか?

常識のある人は、こういう現象を笑う。中には「たかがゲームの世界のこと」と言う人もいる。し
かし本当にそうか? その少しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」とがんばったカルト教
団が現れた。

この教団の教祖はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが、もともと生きていない「電子の生
物」を死んだと思い込む子どもと、「ミイラ化した死体」を生きていると思い込む信者は、どこが
違うのか。方向性こそ逆だが、その思考回路は同じとみてよい。あるいはどこが違うというの
か。仮想現実の世界にハマると、人はとんでもないことをし始める。

●仮想現実の世界

さてこの日本でも、そして世界でも、生きるために働くのではなく、働くために生きている人はい
くらでもいる。しかし仮想現実は仮想現実。いくらその仮想現実で、地位や名誉、肩書きを得た
としても、それはもともと仮想の世界でのこと。生きるということは、もっと別のこと。生きる価値
というのは、もっと別のことである。

地位や名誉、肩書きはあとからついてくるもの。ついてこなくてもかまわない。そういうものをま
っ先に求めたら、その人は見苦しくなる。

●そんな必要があったのか

あのおしんにしても、自分が生きるためだけなら、何もああまで店の数をふやす必要はなかっ
た。その息子のW氏にしても、全盛期には世界一六カ国、グループで年商五〇〇〇億円もの
売り上げを記録したという。が、そんな必要があったのだろうか。

私の父などは、自分で勝手にテリトリーを決め、「ここから先の町内は、M自転車屋さんの管轄
だから自転車は売らない」などと言って、自分の商売にブレーキをかけていた。仮にその町内
で自転車が売れたりすると、夜中にこっそりと自転車を届けたりしていた。相手の自転車屋に
気をつかったためである。

しかしそうした誠意など、大型スーパーの前ではひとたまりもなかった。彼らのやり方は、まさ
にめちゃめちゃ。それまでに祖父や父がつくりあげてきた因習や文化を、まるでブルドーザー
で地面を踏みならすようにぶち壊してしまった。

●私の父は負け組み?

晩年の父は二、三日ごとに酒に溺れ、よく母や祖父母に怒鳴り散らしていた。仮想現実の世界
の人から見れば、W氏は勝ち組、父は負け組ということになるが、そういう基準で人を判断す
ることのほうが、まちがっている。

父は生きるために自転車屋を営んだ。働くための本分を忘れなかった。人間性ということを考
えるなら、私の父は生涯、一片の肩書きもなく貧乏だったが、W氏にまさることはあっても、劣
ることは何もない。

おしんもある時期までは生きるために働いたが、その時期を過ぎると、あたかも餓鬼のように
富と財産を追い求め始めた。つまりその時点で、おしんは働くために生きるようになった。

●進学塾の商魂

 もちろん働くのがムダと言っているのではない。おしんはおしんだし、現代でいう成功者という
のは彼女のようなタイプの人間をいう。が、問題はその中身だ。

これも一つの例だが、二〇〇二年度から、このH市でも新しく一つの中高一貫校が誕生した。
公立の学校である。その説明会には、定員の約六〇倍もの親や子どもが集まった。そして入
学試験は約六倍という狭き門になった。親たちのフィーバーぶりは、ふつうではなかった。ヒス
テリー状態になる親も続出した。

で、その入試も何とか終わったが、その直後、今度は地元に本部を置くS進学塾が、そのため
の特別講座の説明会を開いた(二〇〇二年二月)。入試が終わってから一か月もたっていな
かった。商売熱心というべきか、私はその対応の早さに驚いた。

私も進学塾の世界はかいま見ているから、彼らがどういう発想で、またどういうしくみでそうした
講座を開くようになったかがよくわかる。わかるが、そのS進学塾のしていることはもう「生きる
ために働く」というレベルを超えている。あるいはそうまでして、彼らはお金がほしいのだろう
か。

現代でいうところの成功者というのは、そういうことが平気でできる人のことを言うもだろうが、
そうだとするなら「成功」とは何かということになってしまう。あの「おしん」の中でも、おしんの店
の安売り攻勢にネをあげた周囲の商店街の人たちが、抗議に押しかけるというシーンがあっ
た。

●自分を見失う人たち

 お金はともかくも、名誉や地位や肩書き。そんなものにどれほどの意味があるというのか。生
きるためには便利な道具だが、それに毒されたとき、人は仮想現実の世界にハマる。自分を
見失う。

日本では、あるいは世界では、W氏のような人物を高く評価する。しかしそのW氏のサクセス
物語の裏で、いかに多くの、そして善良な商店主たちが泣いたことか。私の父もその一人だ
が、その証拠として、あのヤオハンジャパンが倒産したとき、一部の関係者は別として、W氏に
同情して涙をこぼした人はいなかった。

●仮想現実の世界にハマる人たち

 仮想現実の世界にハマると、ハマったことすらわからなくなる。たとえば政治家。ある政治家
が土建業者から一〇〇〇万円のワイロをもらったとする。そのときそのワイロを贈った業者
は、その政治家という「人間」に贈ったのではない。政治家という肩書きに贈ったに過ぎない。
しかし政治家にはそれがわからない。自分という人間が、そうされるにふさわしい人間だから
贈ってもらったと思う。

政治家だけではない。こうした例は身近にもある。たとえばA氏が取り引き先の会社のB氏を
接待したとする。A氏が接待するのは、B氏という人に対してではなく、B氏の会社に対してであ
る。が、B氏にはそれがわからない。B氏自身も仮想現実の世界に住んでいるから、その世界
での評価イコール、自分の評価と錯覚する。

しかし仮想現実は仮想現実。仮にB氏が会社をやめたら、B氏は接待などされるだろうか。た
ぶんA氏はB氏など相手にしないだろう。こうした例は私たちの身の回りにはいくらでもある。

●子育ての世界も同じ

 長い前置きになったが、実は子育てについても、同じことが言える。多くの親は、子育ての本
分を忘れ、仮想現実の中で子育てをしている。

子どもの人間性を見る前に、あるいは人間性を育てる前に、受験だの進学だの、有名高校だ
の有名大学だの、そんなことばかりにこだわっている。ある母親はこう言った。「そうは言っても
現実ですから……」と。つまり現実に受験競争があり、学歴社会があるから、人間性の教育な
どと言っているヒマはない、と。

しかしそれこそまさに映画「マトリックス」の世界。仮想現実の世界に住みながら、そちらのほう
を「現実」と錯覚してしまう。が、それだけならまだしも、そういう仮想現実の世界にハマることに
よって、大切なものを大切でないと思い込み、大切でないものを大切と思い込んでしまう。そし
て結果として、親子関係を破壊し、子どもの人間性まで破壊してしまう。もう少しわかりやすい
例で考えてみよう。

●人間的な感動の消えた世界

 先ほど私の祖父のことを少し書いたが、その祖父の前で英語の単語を読んで聞かせたとき
のこと。私が中学一年生のときだった。「おじいちゃん、これはバイシクルといって、自転車とい
う意味だよ」と。すると祖父はすっとんきょうな声をあげて、「おお、浩司が英語を読んだぞ! 
英語を読んだぞ!」と喜んでみせてくれた。

が、今、その感動が消えた。子どもがはじめて英語のテストを持ち帰ったりすると、親はこう言
う。「何よ、この点数は。平均点は何点だったの? クラスで何番くらいだったの? これではA
高校は無理ね」と。「あんたを子どものときから高い月謝を払って、英語教室へ通わせたけど、
ムダだったわね」と言う親すらいる。

こういう親の教育観は、子どもからやる気を奪う。奪うだけならまだしも、親子の信頼関係、さら
には親のきずなまでこなごなに破壊する。

 仮想現実の世界に住むということはそういうことをいう。親にしてみれば、学歴社会があり、
そのための受験競争がある世界が、「現実の世界」なのだ。もともと「生きるための武器として
子どもに与える教育」が、いつの間にか、「子どもから生きる力をうばう教育」になってしまって
いる。本末転倒というか、マトリック(母体)と、仮想現実の世界が入れ替わってしまっている!

●休息を求めて疲れる

 仮想現実の世界に生きると、生きることそのものが変質する。「今」という時を、いつも未来の
ために犠牲にする生き方も、その一つだ。幼稚園は小学校入学のため。小学校は中学校や
高校の入学のため。さらに高校は大学入試のため、大学は就職のため、と。

こうした生き方、つまりいつも未来のために現在を犠牲にする生き方は、結局は自分の人生を
ムダにすることになる。たとえばイギリスの格言に、『休息を求めて疲れる』というのがある。愚
かな生き方の代名詞にもなっている格言である。「楽になろう、楽になろうとがんばっているうち
に、疲れてしまう」と。あるいは「やっと楽になったら、人生も終わっていた」と。

●あなた自身はどうか 

 こうした生き方をしている人は、それが「ふつう」と思い込んでいるから、自分の生きざまを知
ることはない。しかし客観的に自分を見る方法がないわけではない。

 たとえばあなた自身は、次の二つのうちのどちらだろうか。

あなたが今、二週間という休暇を与えられたとする。そのとき、(1)休暇は休暇として。そのと
きを楽しむことができる。(2)休みが数日もつづくと、かえって落ち着かなくなる。休暇中も、休
暇が終わってからの仕事のことばかり考える。

あるいはもしあなたが母親なら、つぎの二つのうちのどちらだろうか。あなたの子どもの学校
が、三日間、休みになったとする。そのとき、(1)子どもは子どもで、休みは思う存分、遊べば
よい。(2)子どもが休みに休むのは、その休みが終わったあと、またしっかり勉強するため
だ。
 (1)のような生き方は、この日本では珍しくない。「仕事中毒」とも言われているが、その本質
は、「今を生きることができない」ところにある。いつも「今」を未来のために犠牲にする。だから
未来の見えない「今」は、不安でならない。だから「今」をとらえて生きることができない。

●日本人の結果主義

 もっともこうした日本人独特の生き方は、日本の歴史や風土と深く結びついている。たとえば
仏教という宗教にしても、常に結果主義である。「結果がよければそれでよい」と。

実際に、「死に際の様子で、その人の生涯がわかる」と教えている教団がある。この結果主義
もつきつめれば、「結果」という「未来」に視点を置いた考え方といってもよい。日本人が仏教を
取り入れたときから、日本人は「今」を生きることを放棄したと考えてもおかしくない。

●なぜ今、しないのか?

 こうした生き方は一度それがパターンになると、それこそ死ぬまでつづく。そしてそのパターン
に入ってしまうと、そのパターンに入っていることすら気づくことがなくなる。脳のCPU(中央演
算装置)が狂っているからである。

たとえば私の知人にこんな人がいる。何でもその人はもうすぐ定年退職を迎えるというのだ
が、その人の夢は、ひとりで、四国八八か所を巡礼して回ることだそうだ。私はその話を女房
から聞いたとき、即座にこう思った。「ならば、なぜ、今しないのか」と。

●「未来」のために「今」を犠牲にする

 その人の命が、そのときまであるとは限らない。健康だって、あやしいものだ。あるいはその
人は退職しても、巡礼はしないのでは。退職と同時に、その気力が消える可能性のほうが大き
い。私も学生時代、試験週間になるたびに、「試験が終わったら映画を見に行こう」とか、「旅
行をしよう」と思った。思ったが、いざ試験が終わるとその気持ちは消えた。抑圧された緊張感
の中では、えてして夢だけがひとり歩き始める。

 したいことがあったら、「今」する。しかし仮想現実の世界にいる人には、その「今」という感覚
すらない。「今」はいつも「未来」という、これまた存在しない「時」のために犠牲になって当然と
考える。

●今を生きる

 こうした生き方とは正反対に、「今を生きる」という生き方がある。ロビン・ウィリアムズ主演の
映画に同名のがあった。「今を偽らないように生きよう」と教える教師と、進学指導中心の学校
教育。そのはざまで一人の高校生が自殺に追い込まれるという映画である。

 あなたのまわりを見てほしい。あなたのまわりには、どこにも、過去も、未来もない。あるの
は、「今」という現実だけだ。過去があるとしても、それはあなたの脳にきざまれた思い出に過
ぎない。未来があるとしても、それはあなたの空想の世界でのことでしかない。

だったら大切なことは、過去や未来にとらわれることなく、思う存分「今」というこの「時」を生き
ることではないのか。未来などというものは、あくまでもその結果としてやってくる。

●再起をかけるW氏

聞くところによると、W氏は再起をかけて全国で講演活動をしているという(夕刊フジ)。これま
たおめでたい人というか、W氏はいまだにその仮想現実の世界にしがみついている。

ふつうの人なら、仮想現実のむなしさに気がつき、少しは賢くなるはずだが……。いや、実際
にはそれに気づかない人は多い。退職後も現役時代の肩書きを引きずって生きている人はい
くらでもいる。私のいとこの父親がそうだ。昔、会うといきなり私にこう言った。

「君は幼稚園の教師をしているというが、どうせ学生運動か何かをしていて、ロクな仕事につけ
なかったのだろう」と。

彼は退職前は県のある出先機関の「長」をしていた。が、仕事にロクな仕事も、ロクでない仕事
もない。要は稼いだお金でどう生きるか、だ。が、この日本では、職業によって、人を判断す
る。稼いだお金にも色をつける。が、こんな話もある。

●リチャード・マクドナルド

マクドナルドという、世界的に知られたハンバーガーチェーン店がある。あの創始者は、リチャ
ード・マクドナルドという人物だが、そのマクドナルド氏自身は、一九五五年にレストランの権利
を、レイ・クロウという人に、それほど高くない値段で売り渡している。(リチャード・マクドナルド
氏は、九八年の七月に満八九歳で他界。)

そのことについて、テレビのレポーターが、「(権利を)売り渡して損をしたと思いませんか」と聞
いたときのこと。当のマクドナルド氏はこう答えている。

 「もしあのままレストランを経営していたら、私は今ごろはニューヨークかどこかのオフィスで、
弁護士と会計士に囲まれていやな生活をしていることでしょう。こうして(農業を営みながら)、
のんびり暮らしているほうが、どれほど幸せなことか」と。マクドナルド氏は生きる本分を忘れな
かった人ということになる。

●残る職業による身分制度

私が母に「幼稚園で働く」と言ったときのこと。母は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは
道をまちがえたア!」と言って、泣き崩れてしまった。

当時の世相からすれば、母が言ったことは、きわめて常識的な意見だった。しかし私は道をま
ちがえたわけではない。私は自分のしたいこと、自分の本分とすることをした。

一方、これとは対照的に、この日本では、「大学の教授」というだけで、何でもかんでもありがた
がる風潮がある。私のような人間を必要以上に卑下する一方、そういう人間を必要以上にあ
がめる。

今でも一番えらいのが大学の教授。つぎに高校、中学の教師と続き、小学校の教師は最下
位。さらに幼稚園の教師は番外、と。こうした派序列は、何かの会議に出てみるとわかる。

一度、ある出版社の主宰する座談会に出たことがあるが、担当者の態度が、私と私の横に座
った教授とでは、まるで違ったのには驚いた。私に向っては、なれなれしく「林さん……」と言い
ながら、振り向いたその顔で、教授にはペコペコする。こうした風潮は、出版界や報道関係で
は、とくに強い。

●マスコミの世界

実際この世界では、地位や肩書きがものを言う。少し前、私が愛知万博(EXPO・二〇〇五)
の懇談会のメンバーをしていると話したときもそうだ。「どうしてあなたが……?」と、思わず口
をすべらせた新聞社の記者(四〇歳くらい)がいた。

私には、「どうしてあんたなんかが……」と聞こえた。つまりその記者自身も、すでに仮想現実
の世界に住んでいる。人間を見るという視点そのものがない。私のような地位や肩書きのない
人間を、いつもそういう目で見ている。自分も自分の世界をそういう目でしか見ていない。だか
らそう言った。が、このタイプの人たちは、まさに働くために生きているようなもの。そういう形で
自分の人生をムダにしながら、ムダにしているとさえ気づかない。

●人間を見る教育を

 教育のシステムそのものが、実のところ人間を育てるしくみになっていない。手元には関東地
域の中高一貫校、約六〇校近くの入学案内書があるが、そのどれもが例外なく、卒業後の進
学大学校名を明記している。

中には別紙の形で印刷した紙がはさんであるのもあるが、それが実に偽善ぽい。それらの案
内書をながめていると、まるでこれらの学校が、予備校か何かのようですらある。子どもを育て
るというのではなく、教育そのものが子どもを仮想現実の世界に押し込めようとしているような
印象すら受ける。

●仮想現実の世界に気づく

 ともかくも、私たちは今、何がマトリックス(母体)で、何が仮想現実なのか、もう一度自分のま
わりを静かに見てみる必要があるのではないだろうか。でないと、いらぬお節介かもしれない
が、結局は自分の人生をむだにすることになる。子どもの教育について言うなら、子どもたち
のためにも生きにくい世界を作ってしまう。しめくくりに、こんな話がある。

 先日、六〇歳になった姉と電話で話したときのこと。姉がこう言った。何でも最近、姉の夫の
友人たちがポツポツと死んでいくというのだ。それについて、「どの人も、仕事だけが人生のよ
うな人ばかりだった。あの人たちは何のために生きてきたのかねえ」と。

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●再び、貪欲(どんよく)

 ここにも書いたように、私だって、お金は嫌いではない。あれば、あるほど、よい。お金がなけ
れば、幸福にはなれない。そういう現実を、いやというほど思い知らされている。

 しかしあまりあるお金が、その人を幸福にするかといえば、それはない。くりかえすと、『お金
がなければ、人は不幸になる。しかしお金があっても、幸福になれるとは、かぎらない』というこ
とになる。

 そのお金と、食事を、ここで並べて考えてみた。

 食べるものがなければ、人は、死ぬ。しかしたくさん食べれば、長生きできるということはな
い。かえって病気になる。早く死ぬ。おいしいものを食べれば、それなりに楽しい。一つ口に入
れながら、別の心で、「もう一つ、食べたい」と思う。そういうことは、よくある。

 性欲もそうだ。私だって、いつも、いろいろな女性とのセックスを、夢想する。「教育にたずさ
わっている者だから、そういうことは考えないはず」と思ってもらっては困る。教師は、決して、
聖人ではない。そのため教職は、決して、聖職ではない。

 今まで、無数の教師をみてきたが、これは確たる結論である。

 が、こうした欲望というのは、溺れてよいことは、何もない。むさぼることによって、自分を見
失ってしまう。が、どこからどこまでが、「適切な世界」で、その先が、「貪欲の世界」なのかとい
うことになると、その判断がむずかしい。

 たとえその限界がわかったとしても、今度は、自分にブレーキをかけなければならない。それ
もまたむずかしい。おいしいものを見れば、つい食べたくなる。その上、いくら食べても、値段
は同じということになれば、なおさらだ。

 お金だってそうだ。あればあるほど、よい生活ができる。大きな車に乗って、大きな家に住む
ことができる。それこそ人間の欲望には、際限がない。

 が、やはり、どこかで自分にブレーキをかける。かけながら、ほどほどのところで、納得し、あ
きらめる。そして自分なりの、充足感というか、幸福感を求める。

 それについても、以前、こんな原稿を書いた。これは私の持論の一つである、「家族主義」に
ついて書いたもの。少しここでのテーマからは、脱線するが、許してほしい。

私は「私たちが求める究極の幸福というのは、そんなに遠くにあるのではない。私たちの身の
まわりで、私たちに見つけてもらうのを、静かに待っている」ということを訴えたくて、この原稿を
書いた(小生の本『子育てストレスが、子どもをつぶす』で、発表済み

+++++++++++++++++

●家族の心が犠牲になるとき 

●子どもの心を忘れる親

 アメリカでは、学校の先生が、親に「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言うと、親はそ
れに喜んで従う。「喜んで」だ。ウソでも誇張でもない。

あるいは自分の子どもの学力が落ちているとわかると、親のほうから学校へ落第を頼みに行く
というケースも多い。アメリカの親たちは、「そのほうが子どものためになる」と考える。

が、この日本ではそうはいかない。子どもが軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半
狂乱になる。先日もある母親から電話でこんな相談があった。

何でも学校の先生から、その母親の娘(小二)が、養護学級をすすめられているというのだ。そ
の母親は電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れていたが、なぜか? なぜ日本ではそうなの
か? 

●明治以来の出世主義

 日本では「立派な社会人」「社会で役立つ人」が、教育の柱になっている。一方、アメリカで
は、「よき家庭人」あるいは「よき市民」が、教育の柱になっている。

オーストラリアでもそうだ。カナダやフランスでもそうだ。

が、日本では明治以来、出世主義がもてはやされ、その一方で、家族がないがしろにされてき
た。今でも男たちは「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも「勉強する」「宿
題がある」と言えば、すべてが免除される。

●家事をしない夫たち

 二〇〇〇年に内閣府が調査したところによると、炊事、洗濯、掃除などの家事は、九割近く
を妻が担当していることがわかった。家族全体で担当しているのは一〇%程度。夫が担当して
いるケースは、わずか一%でしかなかったという。

子どものしつけや親の世話でも、六割が妻の仕事で、夫が担当しているケースは、三%(たっ
たの三%!)前後にとどまった。

その一方で七割以上の人が、「男性の家庭、地域参加をもっと求める必要がある」と考えてい
ることもわかったという。
内閣総理府の担当官は、次のようにコメントを述べている。

「今の二〇代の男性は比較的家事に参加しているようだが、四〇代、五〇代には、リンゴの皮
すらむいたことがない人がいる。男性の意識改革をしないと、社会は変わらない。男性が老後
に困らないためにも、積極的に(意識改革の)運動を進めていきたい」(毎日新聞)と(※1)。

 仕事第一主義が悪いわけではないが、その背景には、日本独特の出世主義社会があり、そ
れを支える身分意識がある。そのため日本人はコースからはずれることを、何よりも恐れる。
それが冒頭にあげた、アメリカと日本の違いというわけである。

言いかえると、この日本では、家族を中心にものを考えるという姿勢が、ほとんど育っていな
い。たいていの日本人は家族を平気で犠牲にしながら、それにすら気づかないでいる……。

●家族主義

 かたい話になってしまったが、ボームという人が書いた童話に、『オズの魔法使い』というの
がある。カンザスの田舎に住むドロシーという女の子が、犬のトトとともに、虹の向こうにあると
いう「幸福」を求めて冒険するという物話である。

あの物語を通して、ドロシーは、幸福というのは、結局は自分の家庭の中にあることを知る。ア
メリカを代表する物語だが、しかしそれがそのまま欧米人の幸福観の基本になっている。

たとえば少し前、メル・ギブソンが主演する『パトリオット』という映画があった。あの映画では家
族のために戦う一人の父親がテーマになっていた。(日本では「パトリオット」を「愛国者」と訳す
が、もともと「パトリオット」というのは、ラテン語の「パトリオータ」つまり、「父なる大地を愛する」
という意味の単語に由来する。)

「家族のためなら、命がけで戦う」というのが、欧米人の共通の理念にもなっている。家族を大
切にするということには、そういう意味も含まれる。そしてそれが回りまわって、彼らのいう愛国
心(※2)になっている。

●変わる日本人の価値観

 それはさておき、そろそろ私たち日本人も、旧態の価値観を変えるべき時期にきているので
はないのか。今のままだと、いつまでたっても「日本異質論」は消えない。が、悲観すべきこと
ばかりではない。

九九年の春、文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、四〇%の日本人
が、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、それが四五%になった。
たった一年足らずの間に、五ポイントもふえたことになる。これはまさに、日本人にとっては革
命とも言えるべき大変化である。

そこであなたもどうだろう、今日から子どもにはこう言ってみたら。「家族を大切にしよう」「家族
は助けあい、理解しあい、励ましあい、教えあい、守りあおう」と。この一言が、あなたの子育て
を変え、日本を変え、日本の教育を変える。

※1……これを受けて、文部科学省が中心になって、全国六か所程度で、都道府県県教育委
員会を通して、男性の意識改革のモデル事業を委託。成果を全国的に普及させる予定だとい
う(二〇〇一年一一月)。

※2……英語で愛国心は、「patriotism」という。しかしこの単語は、もともと「愛郷心」という意味
である。しかし日本では、「国(体制)」を愛することを愛国心という。つまり日本人が考える愛国
心と、欧米人が考える愛国心は、その基本において、まったく異質なものであることに注意して
ほしい。

+++++++++++++++++++++

●終わりに……

 こうした人間が、「性(さが)」としてもつ貪欲さ。それと戦うためには、いくつかの方法がある。

 一つは、自分なりの健康論をもつ。自分なりの価値観や幸福観を確立する。健康論はともか
くも、価値観や幸福観は、こうした貪欲さと戦うための、強力な武器となる。「本当に大切なもの
は何か」「どうすれば本当の幸福を自分のものにすることができるか」と。

 それをいつも考えながら、追求していく。その結果として、自分の貪欲さに、ブレーキをかける
ことができる。

……しかし、ここで私は、ハタと、こんなことに気づいた。同じようなテーマを最前面にかかげて
活動している、宗教教団がある。10年ほど前には、いろいろ問題を起こし、話題になった。名
前も、ズバリ『幸福のK』。つまりここから先のことを書くと、私も、彼らと同じことをすることにな
る?

 だいたいにおいて、自分でさえ、本当に大切なものが何かわかっていないのに、それを他人
に向って、とやかく言うほうがおかしい。幸福も同じ。

 だからここから先は、私たちそれぞれ、一人ひとりの問題ということになる。私は私で、自分
の欲望と戦う。あなたはあなたで、自分の欲望と戦う。そして私は私で、自分なりの価値観や
幸福観を確立する。あなたはあなたで、自分なりの価値観や幸福観を確立する。どこまでいっ
ても、これは個人的な問題ということになる。

 で、最後に一言。

 私は、その「ED」という食べ放題の店から出るとき、ワイフに、こう言った。「もう、この店に
は、ニ度と来たくないね」と。

 私はその店の中で食事をしている間、ずっと、自分の中に隠れていた醜悪な「私」を、見せつ
けられているように感じた。「食べなければ損」と考えて食べる。それはまさに醜悪な私そのも
のだった。それにもう一つ。

 あの黒いTシャツの女性だが、とても食事を楽しんでいるようには見えなかった。欲望に命令
されるまま、その人自身の意思というよりは、別の意思によって、動かされているように感じ
た。

 その姿は、まさに、畜舎でエサを一心不乱に食べる、あの家畜そのものだった。だから私
は、ワイフに再びこう言った。

 「値段は安いけど、もうここへは来たくないね。一度で、こりごり」と。ワイフも、同じような印象
をもったらしい。どこか暗い表情をしながら、「私も、いやだわ」と。

 料金は安ければ安いほどよい。しかし、私も、あと何年生きられるかわからない。平均寿命
で計算すると、あと26年。日数にすると、26x365=9490日。

 その中でも、病気の心配をしなくて、食事をとれる日は、どれだけだろうか。9490日という
が、私には、貴重な9490日だ。「まだ、9490日もある」と考える人もいるかもしれないが、私
には、そうは思えない。

その一日一日を、見苦しい生き方で、ムダにしたくない。食事だって、そうだ。家畜がエサをむ
さぼるような食事だけは、もうたくさん。ごめん。したくない。
(040422)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

日本人の隷属性

●K国の美談

 こんな話を読んだ。詳しい内容は、忘れたが、おおむね、こんな話だ。

 K国のある高官の妻が、病気になった。金XXに忠実な男だった。その話を聞いた金XXが、
その高官にこう言った。

 「私の病院へ、あなたの妻を連れてきなさい。特別にみてもらえるよう、はからってあげる」
と。

 医療事情の悪いK国にあっても、高級幹部だけは、特別あつかい。その中でも、金XXだけ
は、さらに超特別あつかい。金XXの健康管理をする、「長寿研究所(病院)」には、金XXのた
めだけに、何と2000人近い、ドクターが待機していると言われている。

 その話を聞いた高官は、涙を流して喜び、金XXに対して、さらなる忠誠を誓ったという。この
話は、K国では、将軍様の美談としてもてはやされている。

●おかしい?

 この話は、どこかおかしい? 今回、K国のR市で列車爆発事故があったが、R市の医療事
情は、「劣悪」(国際赤十字の係官)だそうだ。そういう国にあって、金XXや高級幹部だけは、
最新の医療技術を使った特別の治療を受けられるという。

 まず、ここがおかしい。

 しかしその高官は、妻が、特別なあつかいを受けることについて、「涙を流して喜んだ」とい
う。

 こうした隷属性は、日本人にも、よく観察される。

 たとえばこの日本では、公務員だけは、あらゆる面で、特別なあつかいを受けている。どう特
別かということは、今さら言うまでもない。そういう「あつかい」が、今では、「矛盾」となって露呈
しつつある。

 そういう矛盾を見たとき、日本人の多くは、「おかしい」、だから「それを改めよう」とは思わな
い。そう思う前に、「あわよくば、私も」とか、「せめて、私の息子や娘も」と考える。そして自分の
夫や妻が公務員であることを喜び、ついで自分の息子や娘を公務員にしようと考える。

 これが私がいう、「隷属性」である。

●長くつづいた圧制

 日本人の、こうした独特の隷属性は、たとえば「長いものには巻かれろ」式のものの考え方と
なって、反映されている。「お上(かみ)には、さからわない」という意識も、強い。だから目の前
に、不公平や、不公正を見せつけられても、それがおかしいと思う前に、「自分もその恩恵に、
あやかりたい」と思う。そう思って、不公平や、不公正を、容認してしまう。

 K国の高官の話は、まさにそれにあたる。

 しかしやはり、おかしいものは、おかしい。そういうおかしいものに出会ったら、その時点で、
「おかしい」と声をあげる。それが民主主義の原点であり、その声なくして、民主主義は、ありえ
ない。

 ただとても残念なことは、たしかにこの日本は、民主主義国家ということになっている。しかし
それはある意味で、「形」だけ。私たちの意識の中には、いまだに、あの封建時代、さらには、
それにつづく官僚主義国家の亡霊が、しっかりと住みついている。

 まず、そういう意識に気がつくこと。そしてそれを改めていくこと。それをしないで、日本の民
主主義は、完成しない。

 K国では、徹底した洗脳教育のもと。K国の人たちは、生まれると同時から、骨のズイまで、
魂を抜かれる。そしてその結果、「おかしい?」と思う心まで、奪われてしまう。つまりは、その
結果が、今の私たち日本人の意識ということになる。

 皮肉なことに、本当に皮肉なことに、今のK国の人たちを見ていると、日本人の私たちが何で
あるのか、また何であったのか、それがよくわかる。この問題は、決して、他国の問題ではない
のである。

●ついでに……

 K国での爆発事故に関して、各国の救援体制が整いつつある(4・29)。しかし肝心のK国
は、自分の国の惨状を見せようとしない。その結果、「外貨稼ぎのために、被害者の子どもた
ちを利用している」(ドイツ人医師のフォラツェン氏)という声すら、聞こえてくる。

「北朝鮮は再び人間の生命には関心がないことを立証した。火傷で苦しんでいる子どもたちが
外貨稼ぎのための人質になっている」(同氏)と。

 おまけに昨日(4・28)、アメリカのワシントン・ポスト紙は、「K国は、核兵器を8個、すでに開
発済みである」という情報を、リークした。別の情報によれば、「北朝鮮が否定している 高濃縮
ウラン計画によって、2007年までにさらに6個の核兵器を製造できる」(中日新聞)とも。

 もちろんこれらの核兵器は、「日本向け」(K国高官)のもの。やがてK国は、アメリカとの間に
相互不可侵条約を結んだあと、これらの核兵器で日本を脅しながら、金をまきあげる魂胆と考
えてよい。そのためK国にしても、そうは簡単に、核兵器を手放すことはないだろう。

 となると、日本にとって、一番好ましい図式は、金XX体制の崩壊だが、しかし韓国が、それを
望んでいない。今の韓国は、そういう意味では、安保闘争の嵐が吹き荒れた、1970年前後の
日本に似ている。どこか方向音痴? 現実感そのものを、喪失している?

 そのためか、米韓関係は、その裏で、急速に悪化している。すでに38度線という最前線か
ら、アメリカ軍は、撤退を完了している。つい先日、アメリカ兵が守っていた、最後の歩哨所も、
アメリカは、韓国軍に移譲した。米韓関係の崩壊は、もはや時間の問題とみてよい。

 まさに今、日本は、国際外交の正念場を迎えつつある。

 K国の核兵器を、どうするか? 中国はまったく、アテにならない。韓国にしても、今のN政権
は、表向きはともかくも、内部では、核兵器を容認している。「K国が核兵器をもてば、統一後、
韓国にも有利に働く」と主張した高官がいた。ロシアもアテにならない。

 日本にとっての唯一の友人は、アメリカ。しかしそのアメリカも、仮にブッシュ政権が倒れるよ
うなことになると、あとは、どうなるかわからない。つぎの民主党の大統領は、「日本とK国の問
題は、日本の問題」と、逃げてしまうかもしれない。

 そうなったとき、日本は、どうする? 今度は、日本は、あのK国と、K国の核兵器と、単独で
立ち向かわねばならない。悲しいかな、それが今の日本が置かれた、まさに「現実的な立場」
なのである。
(040429)



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17

●孤独と不安

 孤独さんと、不安さん。いつも、あなたは、私のそばにいる。

 ああ。それとも私は、もう敗北を認めるときにきているのか?
 戦うことをやめて、あなたを受け入れる時期にきているのか?

 こんにちは、孤独さん。
 こんにちは、不安さん。

 また、おいでになりましたね。
 あなたのおかげで、私は、いつも自分を振りかえる。
 そして、そこに本当の私を発見する。

 ビクビクしながら、恐れながら、かろうじて生きていくのは、
 もうたくさん。もうこりごり。もういやだ。

 しかしね、孤独さん。そして不安さん。
そう、あなたがやってくるたびに、私は、
 何が大切で、何が大切でないかを、知る。

 私は、もう、あと何十年も生かしてほしいとは願わない。
 しかしたった一年でもよい。一か月でもよい。
 これが私だという、そんな人生を、思う存分、私は生きてみたい。
 何のために生きてきたのか、それがわかる人生を、生きてみたい。

 孤独さん、不安さん、あなたが、それを私に、教えてくれる。

+++++++++++++++++

●孤独と不安 

 私は、今まで、孤独や不安というのは、戦うべきものと考えてきた。しかし、どうあがいたとこ
ろで、この孤独や不安とは、戦えない。戦えるはずもない。

 それは人間が、この宇宙で、知性や理性とひきかえに与えられた、原罪のようなものではな
いか。

 今夜も、NHKのニュースを見終わったあと、バラエティ番組の一つを見た。見たというより、
たまたま見てしまった。

その中で、二人の若い女性と、一人の男性が、「ふった」「ふられた」「取った」「取られた」の、
愛憎劇を展開していた。

 私はその男女を見ながら、「人間も、サルみたいだなあ」とか、反対に、「サルと人間は、どこ
がちがうのだろう」と考えた。

 ただ一つだけ、うらやましく思ったのは、その男女が、孤独や不安とは、無縁の世界に住んで
いるように見えたこと。そうした軽薄な愛憎劇を繰りかえしながら、その愛憎劇に、自分たちの
人生のすべてをかけていたこと。

 まさにアホのような男性。どこからどう見ても、アホのような男性。一片の知性も、理性も感じ
させなかった。そんな男性を取りあって、二人の女性が、「友情を裏切った」「裏切っていない」
と、やりあう。

 「バカだなあ」と思うと同時に、そこまでバカになりきれる、その男女が、うらやましかった。

 いやいや、「うらやましく思った」というのは、まちがい。もしここに神様がいて、私に、もう一
度、青春時代にもどしてやるといっても、そんなアホな男女にもどるくらいなら、お断り。今のま
ま、年をとって、死んだほうが、ずっとよい。

 くだらない人生だったら、何百回生きたところで、そして何百年生きたところで、同じ。……と
いうのは、言い過ぎ。それはわかっている。今の今でさえ、懸命に生きようとしている人はいくら
でもいる。

 それにどんな人にも、それぞれ、生きる目的や意義がある。そしてそうした目的や意義は、そ
の人自身が決めること。他人の私が、とやかく言ってはいけない。

 ここでも、私はその若い男女をさして、「アホだなあ」と思った。しかしその私が、若いころどう
だったかというと、それほどちがわなかったような気がする。私も、いつもそのバカなことをして
いた。そうした男女を、笑う資格など、どこにもない。

 若さの特権。それは、自分たちの老後が見えないこと。孤独や不安があるとしても、その孤
独や不安は、質的に、私たちのもつそれとは異なる。しかし、もし、人間に、孤独や不安がなか
ったら、人間は、いつまでたっても、生きている喜びを知ることはないだろう。

 孤独や不安は、いやなものだ。が、戦って、戦えるような相手ではない。大切なことは、その
孤独や不安と、どううまくつきあうかということ。あるいはそれを避けながら、どううまく生きるか
ということ。

 今朝、それを発見した。

+++++++++++++++++++++

 これに関連して、
 以前、こんな原稿を書きました。
 二作、添付します。

+++++++++++++++++++++

『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』

●密度の濃い人生

 時間はみな、平等に与えられる。しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。使い方によ
っては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。

 濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、ほどよい緊張感のある人生をいう。

薄い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、ただその日を生きているだけと
いう人生をいう。人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実感を与える。

 そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。しかし生きる目的
も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、なくすことだけを恐れて悶々と生きている人
は、それだけで見苦しい。こんな人がいる。

 先日、三〇年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、私は「?」と思ってしまった。同じよ
うに三〇年間を生きてきたはずなのに、私の心を打つものが何もない。話を聞くと、仕事から
帰ってくると、毎日見るのは、テレビの野球中継だけ。休みはたいてい魚釣りか、ランニング。
「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。

「静かに考えることはあるの?」と聞くと、「何、それ?」と。そういう人生からは、何も生まれな
い。

 一方、八〇歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている女性がいる。「あな
たをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑いながら、こ
う言った。

「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役目です」と。そういう女性は美
しい。輝いている。

 前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。同じことを同じよう
に繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、そのときは自分を変えるとき。あのマーク・トー
ウェン(「トム・ソーヤ」の著者、一八三五〜一九一〇)も、こう書いている。

「人と同じことをしていると感じたら、自分が変わるとき」と。

 ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。そこでここではもう一歩、話を進
める。

●どうすればよいのか

 ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。私は「無
我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。

私もある時期、無我夢中で、お金儲けに没頭したときがある。しかしそういう時代というのは、
今、思い返しても、何も残っていない。私はたしかに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜ま
で、仕事をした。しかし何も残っていない。

 それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。あの人口三〇
〇万人のメルボルン市ですら、日本人の留学生は私一人だけ。そういう時代だった。そんなあ
る日、だれにだったかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。

「ここでの一日は、金沢で学生だったときの一年のように長く感ずる」と。

決してオーバーなことを書いたのではない。私は本当にそう感じたから、そう書いた。そういう
時期というのは、今、振りかえっても、私にとっては、たいへん密度の濃い時代だったということ
になる。

 となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。これについては、私はまだ結論
出せない。が、あくまでもひとつの仮説として、こんなことを考えてみた。

(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。
(2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。
(3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。自分の中に、広い世
界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。

 とくに(3)の部分が重要。派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度が濃いと
いうことにはならない。密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という、内面世界の問題。

他人が認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。認められないからといって、落胆する
こともないし、認められたからといって、ヌカ喜びをしてはいけない。あくまでも「私は私」。そうい
う生き方を前向きに貫くことこそ、自分の人生を濃くすることになる。

 ここに書いたように、これはまだ仮説。この問題はテーマとして心の中に残し、これから先、
ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。
(02−10−5)

(追記)

 もしあなたが今の人生の密度を、二倍にすれば、あなたはほかの人より、ニ倍の人生を生き
ることができる。一〇倍にすれば、一〇倍の人生を生きることができる。仮にあと一年の人生
と宣告されても、その密度を一〇〇倍にすれば、ほかのひとの一〇〇年分を生きることができ
る。

極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すと
も可なり』と。朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方に死んでも、悔いはないとい
うこと。

私がここに書いた、「人生の密度」という言葉には、そういう意味も含まれる。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●密度の濃い人生(2)

 私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、かっこうの集会場になっ
ている。風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らないが、いつも七〜八人の
老人がいる。

 が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。その空き地の一角には、小さな
畑があるが、その畑の世話や、ゴミを集めたりしているのは、女たちのみ。

男たちはいつも、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。私はいつもその前を通って仕事
に行くが、いまだかって、男たちが何かの仕事をしている姿をみかけたことがない。悪しき文化
的性差(ジェンダー)が、こんなところにも生きている!

 その老人たちを見ると、つまりはそれは私の近未来の姿でもあるわけだが、「のどかだな」と
思う部分と、「これでいいのかな」と思う部分が、複雑に交錯する。「のどかだな」と思う部分は、
「私もそうしていたい」と思う部分だ。

しかし「これでいいのかな」と思う部分は、「私は老人になっても、ああはなりたくない」と思う部
分だ。私はこう考える。

 人生の密度ということを考えるなら、毎日、のんびりと、同じことを繰り返しているだけなら、そ
れは「薄い人生」ということになる。言葉は悪いが、ただ死を待つだけの人生。そういう人生だ
ったら、一〇年生きても、二〇年生きても、へたをすれば、たった一日を生きたくらいの価値に
しかならない。

しかし「濃い人生」を送れば、一日を、ほかの人の何倍も長く生きることができる。仮に密度を
一〇倍にすれば、たった一年を、一〇年分にして生きることができる。人生の長さというのは、
「時間の長さ」では決まらない。

 そういう視点で、あの老人たちのことを考えると、あの老人たちは、何と自分の時間をムダに
していることか、ということになる。私は今、満五五歳になるところだが、そんな私でも、つまら
ないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことがある。

いわんや、七〇歳や八〇歳の老人たちをや! 私にはまだ知りたいことが山のようにある。い
や、本当のところ、その「山」があるのかないのかということもわからない。が、あるらしいという
ことだけはわかる。

いつも一つの山を越えると、その向こうにまた別の山があった。今もある。だからこれからもそ
れが繰り返されるだろう。で、死ぬまでにゴールへたどりつけるという自信はないが、できるだ
け先へ進んでみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 そう、今、私にとって一番こわいのは、自分の頭がボケること。頭がボケたら、自分で考えら
れなくなる。無責任な人は、ボケれば、気が楽になってよいと言うが、私はそうは思わない。ボ
ケるということは、思想的には「死」を意味する。そうなればなったで、私はもう真理に近づくこと
はできない。つまり私の人生は、そこで終わる。

 実際、自分が老人になってみないとわからないが、今の私は、こう思う。あくまでも今の私が
こう思うだけだが、つまり「私は年をとっても、最後の最後まで、今の道を歩みつづけたい。だ
から空き地に集まって、一日を何かをするでもなし、しないでもなしというふうにして過ごす人生
だけは、絶対に、送りたくない」と。
(02−10−5)

+++++++++++++++++++

【追記】

 この2作の原稿を書いて、1年半になる。今、読みなおしてみると、「そうだな」という部分と、
「そうばかりは言えないな」という部分があることを知る。

 順に考えてみる。

 一番気になったのは、「二倍の人生を生きたから、密度が濃くなる」という部分。論理的に考
えればそうだが、しかしだからといって、その分、自分の人生が長くなったと感ずることはない
だろうということ。

 やはり1年は、1年。10年は、10年。時の流れは、だれにでも平等にやってくる。

 ここにも書いたように、その原稿を書いてから、1年半になる。そういう私が、この1年半の
間、密度の濃い人生を送ったかというと、それはない。その実感が、ほとんどない。

 相も変らず、だらしない人生を送ってきたような感じがする。何かをしてきたようで、「何かをし
た」という実感が、ない。

 なぜだろう。なぜか。

 方法がまちがっていたのだろうか。生き方がおかしかったのだろうか。それとも私の考え方
のどこかに、問題があったのだろうか。

 この原稿の中で、空き地で遊ぶ老人たちのことを、きびしく批判した。

 しかし考えてみれば、それが私の人生のゴールでもないのか。毎日、仲間と雑談をしながら、
のんびりと暮らす。どうしてそれが悪いことなのか、と。あるいはひょっとしたら、そうした老人た
ちとて、本当にそれを望んで、そうしているのではないのかもしれない。もっと別のことを、した
いのかもしれない。

 が、できない。だれにも相手にされない。体力もない。気力も弱い。だからしかたないから、そ
ういうところで、自分の時間を浪費しているのかもしれない。

 いろいろ考える。が、どれも、シャボン玉のように、現れては、はじけて消える。

 私の考え方には、どこか欠陥があるのかもしれない。このつづきは、もう少し、時間をおい
て、考えてみたい。


●無益な人生

 私は、何のために生きてきたのか?
 何のために、五十数年も生きてきたのか?
 身のまわりの、ほんの小さな問題すら、
 解決できないでいる。

 いまだに、名誉を求め、地位を求め、
 肩書きを求め、財産を求めて、右往左往している?

 私の人生は、どこにある。どこにあった?
 孤独と、不安。いつも、それが私の心から離れない。

 健康のこと。仕事のこと。家族のこと。
 日本のこと。世界のこと。そして地球のこと。

 私はただ、ひたすら、自分の人生をムダにしてきただけ?
 ただひたすら、そのときを、ごまかして生きてきただけ?

 足は地につかず。時は、一瞬たりとも、つかめない。
 享楽と、刹那(せつな)の喜びに身をまかす。
 その繰りかえし。その連続。今日は昨日と同じ。
 そして明日は、今日と同じ……。

 そんな人生に、どんな意味があるというのか。
 そんな人生を、あと何十年、繰りかえしたからといって、
 それが、どうだというのか。

(はやし浩司 孤独論 不安論 孤独 不安)




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18

●心気症

●皮膚がん?

 昨年の夏ごろから、風呂で頭を洗っているとき、ときどきガリッと、指にひかかるところが、髪
の毛の中にできた。

 痛くも、かゆくもない。指先でさわってみると、何かの傷口のようだった。さらにさわってみる
と、どこか痛かゆい。それで、また何となく、ガリガリと、その部分を洗っていた。

 で、それからほぼ、一年。今でも、その傷口らしきものがある。大きさは変わらない。しかしこ
ういう(モノ)は、一度気になりだすと、どんどんと気になる。「もしや……」という思いが、心をふ
さぐ。

 皮膚がん。こういう地球環境だから、今、その種のがんが、ふえているという。紫外線、放射
線などなど。私が子どものころには、「日焼けコンテスト」というようなものがあって、まっくろに
日焼けすることが奨励された。

 今から考えると、とんでもないコンテストである。そのせいかどうかは知らないが、私の大学
の同窓生には、脳腫瘍になったのが、2人もいる。90人中の2人だから、少なくはない。

 ワイフに見てもらうと、「黒いわね。腫れているわね。かたいわね」と。

 ワイフは、昔から、バカ正直。「何ともないわよ」とか、そういう安心させるようなことは言わな
い。とたん、ゾーッ。

 がんが、なぜこわいか? それは自分であって、自分でないからではないか。成人病にせ
よ、けがにせよ、そこには、自分の「意志」がからむ。そのため、自分の「意志」で、戦うことが
できる。

 しかしがんは、そうではない。勝手に私の体の中に住みついて、勝手に私の体を破壊する。

 昼ごろ、明るい太陽光のもとで、ワイフにみてもらう。ワイフは、大きな虫眼鏡をもってきて、
「何ともないわよ」と。

 今さら、遅い!

 カガミを二枚操作して、その傷口を自分で見る。大きさは、米粒くらい。色は赤茶色。周囲は
やや黒い。懸命にがんの三大特徴を頭の中で、反復する。

 出血。不定形な形。増殖。

 出血はないようだ。形は丸い。去年から、さほど大きくなったとは思えない。そう自分に言って
きかせる。しかしその不安感は、どうしようもない。

 で、仕事をしているときは、その傷口のことは忘れた。が、仕事が終わって、家に帰ると、再
び、あの不安。足元をすくわれるような不安。とたん、心臓の鼓動が高まる。

 「もし、がんだったら、どうしよう?」と声をかけると、ワイフは、また、「何でもないわよ」と。

 足にできたがんだったら、足ごと切り取るという方法がある。しかし頭では、頭を切り落とすと
いうわけにはいかない。それに仮にがんだとしたら、ここ数年はがんばれるが、それ以後は、
どうなるかわからない。長い闘病生活に入ることになるかもしれない。

 仕事はどうする? 収入はどうなる? ……いろいろ考えていると、頭の中は、パニック状
態。

 夜、床についてから、真っ暗な天井を見あげながら、また考える。アドレナリンの分泌が始ま
ったようだ。心臓がドキドキし、呼吸が荒くなる。頭はさえる一方。時計をみると、11時半。床に
ついてから、1時間も、そうしていたことになる。

 一度、起きる。野菜ジュースを飲む。「私が70歳とか、80歳なら、あきらめもつくかもしれな
い。あだ56歳ではないか。どうやってあきらめればいいのだ」と、そんなことまで考える。

 翌朝も、同じようだった。起きてから時計を見ると、8時を過ぎていた。

ワイフ「眠れたの?」
私「あんまり……」
ワイフ「心配だったら、T先生にみてもらう?」
私「そうしようか……」と。

 朝食は、食べなかった。食欲がなかった。書斎へ入って、ぼんやりと何冊かの本に目を通
す。頭に入らない。

 メールで届いたいくつかの相談に、回答を書く。一人は、福岡市のAさんからのもの。子ども
のかん黙症についてだった。もう一つは、東京のBさんからのもの。不登校に関するものだっ
た。

 返事を書きながら、「みんな、がんばっているんだなあ」と、そんなことを思う。しかしどこか事
務的。回答を書きながらも、心が入らない。

 時計を見ると、8時30分。いつも行くT医院は、8時30分からだ。内科医院ということになっ
ているが、T医師は、何でもよく知っている。私は、内科のことはもちろん、ありとあらゆる種類
の病気の相談にのってもらっている。

 居間におりていって、ワイフに「行こうか?」と声をかけると、「ウン」と。だまってそのまま従っ
てくれた。

 外は、久しぶりの雨。はげしい雨が、庭をたたきつけていた。駐車場へ走った。ワイフが、そ
れにつづいた。

私「皮膚がんだったら、やっかいだね」
ワイフ「何でもないわよ」
私「頭の中に、ホクロはできないよ」
ワイフ「できるわよ。どこにだって、できるわよ」と。

 T医院へ行く道すがら、意味のない会話がつづく。

 で、その結果……?

 やはり、いつもの私のとり越し苦労だった。T医師は、私の頭をしばらく見たあと、「何でもな
いと思います」と。棚から、皮膚病の図鑑のようなものを見せ、「林さん、あんたのは、これに近
いです。何でもありません」と。

 たまたまその医院へ来ていた別のドクターも、途中で加わり、「ははあ、これね、石鹸でもつ
けてよく洗えば、なおりますよ」と。ドクターらしからぬことを、言う。

 とたん、胸のつかえが、スーッとおりて、そのまま消えた。

 待合室に出ると、ワイフがそこにいた。「何でもないって……」と私が言うと、「ほら、ごらん」
と。そう答えて、ワイフも笑った。

 「これであと10年は生きられる」と私。そう言いながら、医院を去った。

++++++++++++++++++++

【心気症】

 病気がやたらと気になる症状を、心気症という。「検査や診断で、異常が認められないと医師
が告げても、必要以上に、違和変調にこだわり、重大な病気を心配すること」(鈴木淳三氏)を
いう。神経症の一つとされる。

 この心気症は、被害妄想と、深くからんでいる。病気のことだけを考えるのではなく、その病
気を中心に、四方八方に、いろいろ考えてしまう。「仕事はどうなる」「家族はどうなる」「治療費
はどうする」と。さらに「葬式はどうしたらいい」「親類への連絡はどうしたらいい」とまで。

 こうして頭の中は、パニック状態になる。深刻な問題が、怒涛(どとう)のように、押し寄せてく
る。問題が、一つや二つではないから、解決方法が見つからない。仮に一つの問題が解決し
ても、つぎからつぎへと、問題がやってくる。

 もちろん死への恐怖心もある。この世から消えてなくなるというのは、恐怖そのものである。
心が平静なときは、そうした恐怖も、理性の中で処理できるが、不安になっていると、それもで
きない。

 どういう脳みその作用によるものかは知らないが、不安になると、理性の働きが、ぐんと鈍く
なる。弱くなる。たとえば日ごろは、神や仏にすがることはしたくないと思っていても、そういう状
態になると、突然、神や仏を信じたくなる。すがりたくなる。あるいは神や仏を信じてこなかった
自分が、くやまれる。「今から信じたのでは、遅いし……」とも。

 その病気で死ぬ確率が、仮に10%だったとする。すると、自分がその10%の中に、落ちこ
んでいくように感ずる。ものごとをすべて、悪いほうに、悪いほうに考えていく。「そういえば、こ
のところ、食欲がない」「そういえば、このところ、首が痛い」と。

 あとは急速な生理的な変化。アドレナリンの分泌が始まる。心臓の動機、発汗、食欲不振、
息切れなどなど。

 もちろん心理的にも大きな影響が現れる。深い絶望感と、焦燥感(あせり)。そして怒り。「自
分は何をしてきたのだろう」という悔恨の念などなど。ふつうの不安神経症とちがう点は、そこ
に生死の問題がからむこと。そのため、心気症で味わう絶望感は、絶対的な絶望感といっても
よい。つまり救いようがない絶望感ということ。

 しかしこうした心気症は、個人差がきわめて大きい。私のワイフなんか、「がんになったら、な
おせばいいのよ」と平然としている。その平然さは、恐らく自分ががんになっても変わらないと
思う。要するに、私は気が小さく、ワイフは、気が大きいということ?

 が、いつか、私も、大病を宣告されるときがやってくる。必ず、やってくる。それは絶対に避け
られない。となると、いつ宣告されても、動じないだけの自分をつくっておかねばならない。

 それは可能なのか。あるいはそのために、今、私は何をしたらよいのか。実のところ、皆目、
見当もつかない。ただここで言えることは、そういうときになっても、悔いのないような生き方
を、今、この時点でしておくということ。

 絶対的な絶望感の中では、悔恨の念のほど、苦しいものはない。

 ついでに神経症としては、つぎのようなものがあるという(同、鈴木淳三氏)。

(1)パニック障害をともなう、不安神経症(妄想から、嘔吐、めまい、冷や汗、呼吸困難、不安
発作をともなう。)
(2)恐怖症(危険でないのに、説明のつかない恐怖感を覚える。)
(3)強迫神経症(自分の意思に反して、何かの考えが浮かんだり、そうせざるをえない感覚に
とらわれる。)
(4)心気症(重大な病気と思いこんで、悶々とする。)
(5)ヒステリー(目が見えなくなったり、声が出なくなったりする。臓器の機能不全を起こしたり、
両手両足のマヒなど。)
(6)離人神経症(自分が自分でない感じがして、外界の存在さえも疑う。)
(7)抑うつ神経症(罪の意識、自殺願望、食欲低下など。軽いうつ状態になる。)

 私には、これら(1)から(7)まで、「そういうこともあるなあ」と思えるほど、よく理解できる。軽
重のちがいはあるのだろうが、日常的に、よく経験する。

 精神病と神経症のちがいは、精神病の多くは、病識(自分が病気であるという意識)が、ない
こと。神経症の多くは、病識があること。自分でも、「おかしい」とわかること。

 ワイフは、「あなたは、がんノイローゼよ」と言う。そうかもしれない。そうでないかもしれない。
ともかくも、私のばあいも、そういうとき、「私は、おかしい」とわかる。だからもう一人の私が、
懸命に、それを否定しようとする。こうした葛藤が、やがてはげしくなり、頭の中は、パニック状
態になる。「前にもあったではないか」「何でもないよ」「お前は、心配性だなあ」と。

 みなさんには、そういう経験はないだろうか? あれば私の状態を、よく理解してもらえると思
う。
(はやし浩司 心気症 病気 神経症 がんノイローゼ 不安神経症 強迫神経症)
(040427)



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19

●よい子の三大鉄則

 子どもを、よい子にする、三大鉄則。

【1】親子の信頼関係
【2】子どもの生活力
【3】善なる心の育成

 親子の信頼関係は、母子関係の中ではぐくまれる。母子の間の(さらけ出し)(受け入れ)が
基本となり、その上で、信頼関係が築かれる。

 子どもの生活力は、子どもを使うこと。日常生活の中で、使って使って、使いまくること。そう
いう(生活)を通して、身につく。

 善なる心の育成は、つまりは親がその見本を見せる。しかし見せるだけでは足りない。親自
身が、それを実践し、その中に、子どもを巻きこんでいく。

++++++++++++++++++++++

今までに書いた原稿の中から、【1】'2】【3】に
関するものを、いくつか選んでみました。
参考にしていただければ、うれしいです。

++++++++++++++++++++++

【1】信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、同じ
ようなパターンで、答えてあげること。こうしたあなたの一貫性を見ながら、子どもは、あなたと
安定的な人間関係を結ぶことができる。こうした安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の
基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していく。
しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での信頼関係を
築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基本となる。だ
から「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安や、親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ど
もは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。
これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出せる環境」を
いう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということになる。義務といっ
てもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。

+++++++++++++++++++++

 よくても悪くても、親は、子どもに対して、一貫性をもつ。子どもの適応力には、ものすごいも
のがある。そういう一貫性があれば、子どもは、その親に、よくても、悪くても、適応していく。

 ときどき、封建主義的であったにもかかわらず、「私の父は、すばらしい人でした」と言う人が
いる。A氏(六〇歳男性)が、そうだ。「父には、徳川家康のような威厳がありました」と。

 こういうケースでは、えてして古い世代のものの考え方を肯定するために、その人はそう言
う。しかしその人が、「私の父は、すばらしい人でした」と言うのは、その父親が封建主義的で
あったことではなく、封建主義的な生き方であるにせよ、そこに一貫性があったからにほかなら
ない。

 子育てでまずいのは、その一貫性がないこと。言いかえると、子どもを育てるということは、い
かにしてその一貫性を貫くかということになる。さらに言いかえると、親がフラフラしていて、どう
して子どもが育つかということになる。

++++++++++++++++++

【2】子どもの心

 「家庭教育」というと、「知識教育」だけを考える人は、多い。ほとんどが、そうではないか。し
かしそれと同じくらい、あるいはそれ以上に大切なのは、「情操教育」である。わかりやすく言え
ば、「心を育てる教育」ということ。

 ……と、書くと、「そんなのは、何でもないこと」と思う人は多い。が、それはとんでもない誤解
である。今、生まれても泣かない子ども(サイレント・ベービー)や、表情のない子どもが、ふえ
ている。年中児で、約二〇%の子どもが、大声で笑うことができない。感情が乏しい子どもとな
ると、何割かがそうであるというほど、多い。

 そこでつぎのようなポイントをみて、あなたの子どもの「心」が、正しく発達しているかどうか、
判断してみてほしい。

●すなおな感情……うれしいときには、うれしく思う。悲しいときには悲しく思う。たとえばペット
が死んだようなとき、悲しく思う、など。こうしたすなおな感情が消えると、うれしいはずと思うよ
うなときでも、反応を示さなかったり、悲しいはずだと思うようなときでも、悲しまなかったりす
る。以前、父親の葬式のとき、葬式に来た人と、楽しそうにはしゃいでいた子ども(小一男児)
がいた。

●すなおな感情表現……こうした感情の動きにあわせて、こまやかな表情ができる。うれしい
ときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。そうした微妙な表情が、
だれの目にもわかるほど、すなおに表情で表現する。それができないと、仮面をかぶったりす
るようになる。さらにひどくなると、親が見ても、何を考えているかわからない子どもになる。

●豊かな表情……つぎに、その感情表現が豊かであるかどうかということ。たとえば父親が仕
事から帰ってきたようなとき、「ワーイ!」と歓声をあげて、父親に抱きつくなど。ただしギャーギ
ャーと大声を出して騒ぐなど、必要以上に興奮するというのは、豊かな表情とは言わない。今、
その表情の乏しい子どもがふえている。

●ゆがみのない心……ひねくれる、つっぱる、いじける、すねる、ひがむなどの、いわゆる「心
のゆがみ」がないことをいう。心がゆがむ、そのほとんどの原因は、愛情問題と考えてよい。幼
児のばあい、とくに注意しなければならないのが、「嫉妬(しっと)」。たとえば下の子どもが生ま
れたようなとき、上の子どもの心のケアをしっかりとすること。「あなたはお兄(姉)ちゃんでしょ」
式の押しつけは、してはいけない。

●大きくて、明るい声……心の伸びやかさは、そのまま声の調子となって、外に表れる。大き
い声で、ハリがあり、腹に力を入れ、息をしっかりと出し、口を大きく動かして話ができれば、よ
し。幼稚園や保育園、あるいは学校から帰ってきたようなとき、明るい声で、「ただいま!」と言
えるようであれば、問題ない。

●自分を飾らない心……正直な心をということになる。子どものばあい、とくに注意したのが、
いい子ぶること。「お母さんが、料理をしています。あなたはどうしますか?」などと質問すると、
ふだんは、ほとんど手伝いなどしていないにもかかわらず、「手伝います」などと、心にもないこ
とを言う。しかし、そういう姿勢は、子どもの姿としては、決して望ましいことではない。イヤだっ
たら、正直に、「イヤ!」とはっきり言う。そういう姿勢を大切にする。伸ばす。

●迎合しない姿勢……へつらう、こびを売る、相手に取り入るなど。この時期、愛想がよいと
か、あるいは愛想がよすぎるというのは、決して望ましいことではない。愛想のよい子どもは、
それだけ自分の心をごまかしていることになる。こういう姿勢が定着すると、やがて心が二面
性をもつようになる。まわりの人からみても、いわゆる何を考えているか、わかりにくくなる。

●心を開く……心を開いている子どもは、親切にしたり、やさしくしたりすると、その親切ややさ
しさが、そのままスーッと子どもの心の中に、しみこんでいくのがわかる。そうでない子どもは、
そうでない。そういった親切ややさしさが、はねかえされるような感じになる。ふつう子どもは、
抱いてみるとそれがわかる。心を開いている子どもは、抱いた人に対して、体の力を抜き、身
を任せる。そうでない子どもは、抱く側の印象としては、体をこわばらせるため、何かしら丸太
を抱いているような感じになる。

●年齢にふさわしい人格……その年齢に比して、子どもっぽい(幼稚っぽい)というのは、好ま
しいことではない。人格の「核」形成の遅れた子どもは、その分、子どもぽいしぐさや様子が残
る。全体の中で比較して判断するが、親の溺愛や過干渉が日常化すると、人格の核形成が遅
れる。

●考える姿勢……何かテーマを出したとき、ペラペラと調子よく答えるのは、決して望ましい姿
ではない。多くの人は、「知識」と、「思考」を混同している。とくにこの日本では、昔から、物知り
の子どもほど、頭のよい子と評価する傾向が強い。しかし知識が多いからといって、頭のよい
子ということにはならない。頭のよい子というのは、深く考えて、新しい考えに、自分でたどりつ
くことができる子どもをいう。子どもが何か考えるしぐさを見せたら、静かにそれを見守るように
して、それをさらに伸ばす。

●受容的な態度……何か新しい考えを示したとき、すなおにそれを受け入れる姿勢を見せれ
ばよし。そうでなく、かたくなに、それを拒否したり、がんこに否定するようであれば、注意する。
とくにこの時期、カラにこもり、がんこになる様子を見せたら、注意する。頭から叱るのではな
く、子どもの立場で、心をほぐすように、話して聞かせるのがよい。

●融通がきく思考……いつまでも伸びつづける子どもは、それだけ頭がやわらかい。臨機応
変に、ものごとに対処したり、つぎつぎと新しい考えを生み出す。たとえば親どうしが会話をして
いても、まわりのものから、新しい遊びを発明したりするなど。そうでない子どもは、「退屈〜
ウ」「早く帰ろう〜ウ」とか言って、親を困らすことが多い。

●自然な動作……心がゆがみ、それが恒常化すると、動作そのものが、どこかぎこちなくな
る。さらに言動がおかしくなることもある。動作が緩慢になったり、不自然な反応を示すこともあ
る。

●強い意志……意味もなく、かたくなに固執するのを、がんこという。しかしそれなりの理由や
目的があり、それに従って自分の行動を律することを、「根性」という。子どもにその根性を感じ
たら、そっとしておく。根性は、いろいろな意味で、子ども自身を伸ばす。

●忍耐力……好きなことをいつまでもしているのは、忍耐力とは言わない。たとえばテレビゲ
ームならテレビゲームなど。幼児教育においては、忍耐力というのは、「いやなことをする力」
のことを言う。ためしに台所のシンクにたまった、生ゴミを子どもに始末させてみてほしい。風
呂場の排水口にたまった毛玉でもよい。そのとき、「ハイ」と言って、平気でできれば、かなり忍
耐力のある子どもということになる。

●親像……ぬいぐるみを与えてみれば、子どもの中に、親像が育っているかどうかを、判断で
きる。もしそのとき、さもいとおしそうに、ぬいぐるみを抱いたり、頬を寄せるようであれば、親
像が育っているとみる。そうでない子どもは、無関心であったり、反対に足で蹴ったりする。ち
なみに、約80%の幼児は、「ぬいぐるみ、大好き」と答え、残りの約20%の子どもは、無関心
であったり、足で蹴っ飛ばしたりする。当然のことながら、親の良質な愛情に恵まれた子どもほ
ど、心が温かくなり、ここでいう親像が育つ。

+++++++++++++++++

【3】不誠実な男

 六月に、クーラーを設置した。そのとき、Tという男がやってきた。見るからに不誠実そうな男
だった。心の中というより、体中、ゴミだらけといった感じの男だった。

 で、ものすごい、ひどい工事。配管のパテは、まったく詰めてなかった。土台のネジは、八本
必要だったのに、四本のみ。強くドリルで締めすぎたためか、ネジ山はつぶれ、ネジはきいて
いなかった。

 また外壁をはう配管は、上から下まで、何と六センチ前後、横にズレていた。まだある。クー
ラーを設置するとき、乱暴に扱ったため、クロスの壁がかなりこすれて、削れていた。

 一事が万事。最近になって、クーラーの室外機が、ゴミ取り専用のマンホールの真上にある
ことがわかった。しかも、一台のクーラーは、どうやら家の筋交(すじか)いを、まともにぶち抜
いているらしい(これは未確認)。

 配管の費用は、四メートルまでは、無料ということだったが、請求書は、七メートル。実際に
測ってみたら、六メートル弱しかなかった。つまり一メートル分、過剰請求!……などなど。

 ズルい人間は、年齢とともに、あらゆる面でズルくなる。一つだけということはない。全体に、
そうなる。まさに日々の積み重ねが、人格となるというわけである。

 このTという男は、改めて、私に大きな教訓を与えてくれた。

 善人も悪人も、それほど大きな違いはない。ほんの小さな、日々の積み重ねが、善人を善人
にする。悪人を悪人にする。その小さなことというのは、決してむずかしいことではない。ウソを
つかないとか、約束を守るとか、あるいは人に迷惑をかけないとか、そういうことである。

 そして日々の積み重ねが、やがてその人の人格をつくる。いや、日々というより、この瞬間、
瞬間の積み重ねといってよい。「今」のこの瞬間である。

 それは最初は、「勇気がいる」と言えるほど、覚悟が必要。しかし思い切って、近所の道路に
散っているゴミを拾ってみる。思い切って、倒れた自転車を起こしてやってみる。最初は、どこ
か、「やってやっている」という思いにかられるかもしれない。が、やがてそれが自然にできるよ
うになったとき、その積み重ねが、その人の人格となる。

 そのTという男は、どんな人生を歩んできたのか。年齢は私と同じくらいか。恐らく、日々の生
活の中で、ズルいことばかりしているのだろう。が、それ以上に彼にとって不幸なことは、もうこ
の年齢になると、軌道修正はできないということ。そういうズルい生き方が、体質として、彼の
中にしみこんでしまっている。だから、「一事が、万事」。

 で、また考えてみる。私はどうなのか、と。

 私はもともとそのTという男に、負けないくらい、ズルい男だった(?)。生まれ故郷の言葉で
は、「こすい子ども」だった(?)。戦後の混乱期に生まれた子どもは、みな、多かれ少なかれ、
そうだった。

 今でも、そうした体質が、たしかに残っている。ときどき、そういう自分と、戦わねばならない。
とくに困るのが、サイフを拾ったとき。一応、持ち主や、交番に届けるが、そのとき、「もらっちゃ
え」と叫んでいる自分が、どこかにいるのを知る。だから今では、サイフを拾うのも、こわい。だ
から、それらしきものが落ちていても、できるだけ目を閉じて、通り過ぎるようにしている。

 そしてここからが子育て論ということになる。

 私たちは親として、教師として、子どもの前に立つ。そのとき大切なことは、親や教師の心
は、そのまま、長い時間をかけて、そっくりそのまま子どもに伝わってしまうということ。親子、あ
るいは教育というのは、そういうもので、そこに親子であること、教育のすばらしさがあると同時
に、きびしさがある。

 そう、昔、息子たちと歩いているとき、そのサイフを拾ったことがある。私たちは、みんなで、
そのサイフの持ち主に届けた。そういった積み重ねが、子どもの心をつくる。おかげで、という
か、私の三人の息子たちは、みな、バカ正直と言えるほど、バカ正直な子どもたちになってくれ
た。今、ふと、「よかった……」と思った。




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20

【人格の完成度】

●強者のジコチュー、弱者のジコチュー

 その人の人格の完成度は、利己から、利他への移動度で測る。わかりやすく言えば、いか
に、他人への同調性、同情性、協調性、共鳴性、和合性などができるかによって、その人の人
格の完成度を知ることができる。

 いいかえると、自分勝手で、ジコチューな人は、それだけものの考え方が、利己的で、人格の
完成度が低いということになる。

 ……というようなことは、何度も書いてきた。そこでここでは、その先について、考えてみた
い。

●学歴と人格の完成度

 当然のことながら、学歴と、人格の完成度は、一致しない。……しないというより、関係ない。

 ここにも書いたように、人格の完成度は、いかにその人が利他的であるかによって、知る。
他人の悲しみや苦しみを理解し、その他人の立場になって、同情したり、共鳴したりできるか
によって、知る。それが自然な形で、できる人を、人格の完成度の高い人という。

 たとえばガムシャラに、勉強をして、よい大学に入ったとか、同じくガムシャラに、仕事をして、
社会的な名声や地位を得たからといって、その人の人格の完成度は高いということにはならな
い。

 むしろ、実際には、その逆のことが多い。

 多くの親は、そして教育にたずさわる人は、「勉強ができる子どもイコール、人格的にもすぐ
れた子ども」と考えやすい。しかしこれはまったくの、誤解。ウソ。偏見。幻想。

●二種類のジコチュー

 自分のことしか考えられないという人は、多い。自分勝手で、わがまま。世間では、こういうタ
イプの人を、やや軽蔑の念をこめて、「ジコチュー(自己中心的な人)」という。

 このジコチューにも、二種類、ある。強者のジコチューと、弱者のジコチューである。

 先に書いた、自分のことだけを考えて成功したような人は、強者のジコチューということにな
る。これに対して、弱者のジコチューというのもある。

 先日、ある女性(年齢、不詳)から、突然、電話がかかってきた。「講演会を聞いたものです」
とだけしか、その女性は、言わなかった。

 が、電話を受け取ると、ただ一方的に話すのみ。

「うちの子が勉強しません」
「受験が迫っています」
「夫が、私を叱ります」
「私は子どものころ、勉強ができなくて、よく母に叱られました」と。

 で、あれこれひと通り話すと、あいさつも何もないまま、プツンと電話を切ってしまう。

 そして、翌日も、同じような電話をかけてくる。そして同じような内容の繰りかえし。

 要するにその女性は、「何とかしてくれ」「何とかしてほしい」と言っている。たいへん依存心の
強い人ということになる。そして一見、子どもの将来を心配しているようなフリをしている。が、
その実、自分のことしか考えていない。

 私の迷惑など、計算外といったふう。こういうジコチューを、弱者のジコチューという。

●弱者のジコチュー

 昔から、困った人があがく姿を、「藁(わら)にもすがる」という。つまりその時点で、その困っ
た人は、ここでいう弱者のジコチューになる。

 生活が行きづまった人。
 大病をわずらった人。
 大きな問題をかかえた人。
 経済的に追いつめられた人、ほか。

 このタイプの人は、当然のことながら、自分のことしか考えない。……考えられない。自分の
ことを考えるだけで、精一杯。他人のことや、他人の立場や心情を考える余裕など、ない。

 先日も、ある学校の先生(中学2年担任)のところに、一人の母親から、電話がかかってきた
という。時計を見ると、夜中の1時。「うちの娘が家出をしてしまいましたア。いっしょに、さがし
てくださア〜い!」と。

 その先生は、「時間外のことは知らない」と言いたかったが、断るわけにもいかなかった。夜
が明けるまで、その母親といっしょに、その子どもをさがしたという。

 その母親にしてみれば、自分の娘のことを心配するだけで、精一杯。先生の都合や、迷惑な
ど、考える余裕すらなかったということになる。

●ジコチュー診断

 いかにすれば、「利己」から、「利他」へ、脱却できるか? 自分自身を転換できるか?子育
ての場では、それは教育や指導によるものということになる。が、これは子どもだけの問題で
はない。おとなや親の問題ということにもなる。

 そこで大切なのは、その人自身の努力である。

 まず、自分が、ジコチューであることに気づく。強者のジコチューであるにせよ、弱者のジコチ
ューであるにせよ、それに気づく。すべてはここからはじまる。

 が、多くのばあい、つまりほとんどの人は、自分が自己中心的でありながら、それに気づかな
い。そこでまず、自己診断テスト。

( )他人と会話をしていても、いつも自分のことばかり話す傾向が強い。
( )他人の不幸話や、失敗話を聞くと、優越感を覚えたり、ときに楽しく思う。
( )自分が損をするようなことは、しない。犠牲になることも好まない。
( )無料奉仕、ボランティア活動、町内の仕事など、ほとんど、したことがない。
( )自分の権利を主張することが多く、侵害されると、猛烈に反発する。
( )友人が少なく、人との交流も、ほとんどしない。いつも孤独で、さみしい。

 ここに書いたようなことがいくつか当てはまれば、かなりのジコチューとみてよい。

●ジコチューを知る

 ジコチューの問題は、これはあらゆる心の問題と共通しているが、それに気づけば、そのほ
とんどが解決したとみる。

 その気づく方法の一つとして、他人を観察してみるという方法もある。

 幸いなことに、私は、毎日、多くの子どもたちに接している。親たちにも接している。そういう
環境の中で、「この子どもは、ジコチューだな」「この親は、ジコチューだ」と気づくことが多い。

 概して言えば、子どもの受験勉強に狂奔する親というのは、ジコチューとみてよい。自分のこ
としか、考えていない。自分の子どものことしか、考えていない。そしてその結果として、受験競
争を勝ち抜いた子どもほど、ジコチューになりやすい。

受験競争というのは、もともとそういうものだが、しかしつまり、子どもの受験勉強に狂奔する
親というのは、それだけ人格の完成度が低い人ということになる。

 そういう視点でみていくと、あなたのまわりにも、ジコチューな人と、そうでない人がいるのが
わかるはず。電話で話しても、一方的に自分のことばかり話すだけ。他人の苦労話や不幸な
話を聞いても、型どおりの返事だけ。心に響かない……。

●演技としての同情

 話は少し脱線するが、人間は、経験をつむことによって、人格者を演ずることができるように
なる。一つの例が、ニュース番組の中の、ニュースキャスターたちである。

 悲しい事故の報道をしながら、どこか暗くて、つらい表情をしてみせる。「犠牲者は、病院で手
当てを受けていますが、中には、重症の方もいるようです……」と。

 しかしつぎの瞬間、今度は、ニュースが変わると、同時に、がらりと明るい表情になり、「で
は、今夜のプロ野球の結果です。あのM選手が、満塁ホームランを打ちました!」と話す。

 人間の心はそれほど、器用にできていない。わずか数分(あるいは数秒)のうちに、悲しい気
持ちが楽しい気持ちになったり、あるいはその反対になったりすることなど、ありえない。つまり
ニュースキャスターたちは、そのつど、ニュースの内容に応じて、演技しているだけということに
なる。

 こうした演技は、日常的に経験する。が、それだけではない。

 演技を重ねていると、それが仮面になり、さらにその人の中に、別の人格を形成することが
ある。心理学では、こうした現象を、「反動形成」という。

 たとえば「私は教師だ」「聖職者だ」と自分に言ってきかせていると、いつの間にか、自分の中
に、(私でない私)をつくりあげてしまう。それにふさわしい人間になろうと思っているうちに、自
分の中に、架空の自分をつくりあげてしまう。

 しかし仮面は仮面。一見、人格者風の人間にはなるが、もちろん、ホンモノではない。

 利己から利他へ移行するためには、その人自身が、苦労を重ね、悲しみや苦しみを経験し
なければならない。私の恩師のT先生は、それを、「心のポケット」と呼んだ。

●心のポケット

 相手に同調するにせよ、同情するにせよ、それができるようになるためには、自分自身も、
同じような経験をしていなければならない。

 たとえば自分の子どもを、交通事故か何かでなくした人がいたとする。その人は、深い悲しみ
を味わうわけだが、その悲しみは、その経験のない人には、理解できない。同じような経験をし
た人だけが、その人の悲しみを理解できる。

 一つの悲しみや苦しみを経験すると、同じような悲しみや苦しみをもった他人の心を、理解で
きるようになる。

 これを「心のポケット」という。

 この心のポケットの多い人、深い人、そういう人ほど、他人の悲しみや苦しみを、自分のもの
として、受け入れることができる。

 が、だれしも、こうした悲しみや苦しみを、経験するわけではない。ほとんどの人は、できるだ
けそれを避けようとする。悩みや苦労もなく、平和に、のんびりと暮らしたいと願っている。

 となると、ここで一つの矛盾が生まれる。

●矛盾

 わかりやすく言えば、人は、悲しみや苦しみを経験してはじめて、他人に悲しみや苦しみを理
解できるようになる。そしてその同情性や、同調性が、自分を利己から利他へと導く。

 その利他が大きくなればなるほど、人格の完成度が高くなる。

 しかし、その一方で、人間は、悲しみや苦しみを、避けたいと思っている。またそのために努
力している。

 ということは、生活が豊かになり、生活の質が高くなればなるほど、悲しみや苦しみを経験す
ることがすくなくなる。そしてそれと同時に、人格の完成度は低くなるということになる。

 もっとわかりやすく言えば、苦労が多ければ多いほど、人格の完成度が高くなるということだ
が、苦労を望んで求める人などいない。あるいは苦労をした人が、すべて人格者になるという
わけではない。中には、むしろ邪悪な人になっていくケースもある。

 こうした矛盾を、どう考えたらよいのか。それに心のポケットといっても、不幸には、定型がな
い。まさに千差万別。「同じような苦労」といっても、それはどこか似ているというだけで、苦労
の内容は、みなちがう。

 この問題については、また別の機会に考えてみる。今は、「矛盾」とだけにしておく。が、ヒント
がないわけではない。

●愛と慈悲

 キリスト教には、「愛」という言葉がある。仏教には、「慈悲」という言葉がある。

 その愛にせよ、慈悲にせよ、その中身といえば、突きつめれば、結局は、いかにすれば相手
の立場で、悲しみや苦しみを共有できるかによって、決まる。他人への同調性、同情性、協調
性、共鳴性、和合性こそが、まさに愛であり、慈悲ということになる。

 言いかえると、キリスト教にせよ、仏教にせよ、こういった宗教は、愛や慈悲という言葉を使っ
て、その人の人格の完成をもとめているということになる。

 こうした宗教では、自らは、悲しみや苦しみを経験することなく、人の心の中に、心のポケット
をつくろうとする。私自身は、信仰者ではないから、それ以上のことはわからない。

 そこで改めて、私なりのやり方を、考えてみる。私のばあい、宗教にその方法を求めるという
のは、最後の最後にしたい。

●ジコチューとの戦い

 そこで考えてみると、自分のジコチューと戦うためには、いくつかの方法があることがわか
る。

 最初に思いつくのは、自己犠牲と、周囲への貢献。無料奉仕活動や、ボランティア活動がそ
れにあたる。とくに、悲しみや苦しみを背負った人の立場で、ものを考え、行動する。そしてそ
の悲しみや、苦しみを、自分のものとして共有する。

 ……といっても、もちろん、それは簡単なことではない。このこと自体が、生きることのテーマ
そのものといってもよい。

 が、それだけでは足りない。

 精神の完成のためには、毎日の、たえまない研鑽(けんさん)が必要である。いつも前向きに
戦っていく。自分をみがいていく。

 というのも、精神の完成度は、立ち止まったとたん、その時点から後退し始める。それは流
れる水のようなものではないか。よだんだとたん、水は腐り始める。「私は完成された人間だ」
と思ったとたん、愚劣な人間になっていく人は、少なくない。

 そのためには、いつも考える。考えて考えて、前に進む。そうすることによって、脳の中を流
れる水を、腐らせないですむ。釈迦は、そういう姿勢を、『精進(しょうじん)』という言葉を使って
説明した。

 そう言えば、キリスト教にも、(ゴール)という言葉はない。「10年、教会に通ったから、もうあ
なたは教会には、こなくていい」というような話は、聞いたことがない。信者は、それこそ死ぬま
で、たとえば日曜日には、教会へ通ったりする。

 キリスト教でも、やはり毎日の研鑽を、信者に教えているのかもしれない。(こんな軽率な意
見を書くと、その道の専門家の人に、叱られるかもしれないが……。)

●人生の目標 

 こうして考えていくと、どこまで「利他」を達成できるかが、人生の目標ということになる。ひょっ
としたら、私たちが生きている意味や、目的も、そのあたりにあるのかもしれない。

(とうとう、シッポをつかんだぞ!)

 かなり不謹慎な言い方をしたが、今、私は、心の中で、そう叫んだ。「私たちはなぜ、今、ここ
に生きているのか」「生きる目的は何なのか」「何を求めて生きているのか」という、人間がかか
える最大の課題についての(シッポ)である。

 私は、その(シッポ)をつかんだような気がする。

 もちろんまだ、その(シッポ)をつかんだだけというだけで、その方法もよくわかっていない。そ
れにそれを実践するというのは、まったくの別の問題。

 さらにその先には、何があるか、私にも、皆目見当もつかない。またそういう状態になったと
き、私の心境や思想がどうなるか、それもわからない。しかし方向性だけは見えたような気が
する。

 とりあえずは、日々の生活の中で、「利己」から「利他」への転換を、少しずつ始める。今は、
それしかない。

 何とも中途半端なエッセーになってしまった。先ほど、このエッセーを読みかえしてみたが、
文章も稚拙で、矛盾だらけ。マガジンに掲載するのをやめようかとも思ったが、この数日間、ほ
とんど原稿を書いていないということもあって、あえて掲載してみることにした。

 改めて、つまり少し時間をおいて、この問題については、考えてみたい。

 なおこのあとに、以前書いた原稿を3作(中日新聞発表済み)を添付すいておく。参考にして
ほしい。

++++++++++++++++++++

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。

私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからで
はないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意
味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもっ
て言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、な
ぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけ
ではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の
目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエー
ル。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進
むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、
生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っ
ている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』
と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。
命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが
宙を飛ぶ。

その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、そのあと喜
びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。

いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえ
ると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、
ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。

さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私
たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。あ
の高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、
高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら繰り
返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。

そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

++++++++++++++++++++

子育てのすばらしさを教えられるとき

●子をもって知る至上の愛    

 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えられ
ること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなっても
いい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上
の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分
の中に父がいる」という思いである。

私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう感じたことがある。その顔が父に似ていたか
らだ。そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこかに父の面影があるのを知って驚く
ことがある。

先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死ん
だ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や感じ方もそう
だ。私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。し
かしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのようなも
のがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。

つまり子育てをしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生
命の流れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもない。死
はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理な
り」とも言う。そういう意味で私は孤独だ。

いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこにいて、私をあざ笑う。すがれる神や仏が
いたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれができない。しかし子育てをしていると、
その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どものできの悪さを見せつけられるたびに、
「許して忘れる」。

これを繰り返していると、「人を愛することの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者
なら、深い愛を、万人に施すことができるかもしれない。が、私のような凡人にはできない。で
きないが、子どもに対してならできる。いわば神の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版である
にせよ、子育ての場で実践できる。それが孤独な心をいやしてくれる。

●神や仏の使者

 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもを大
きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることにまつわ
る、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意識の
深さにもよる。

が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわかる。子どもとい
うのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そして生きる喜び
を教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫にわたって、伝え
てくれる。

つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう意味で、まさに神や仏
からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた自身も神や仏からの使
者だと知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐらい、子育てですばらし
いことはない。

+++++++++++++++++++++

●真理

 イエス・キリストは、こう言っている。『真理を知らん。而(しこう)して真理は、汝らに、自由を得
さすべし』(新約聖書・ヨハネ伝八章三二節)と。「真理を知れば、そのときこそ、あなたは自由
になれる」と。

 私が、「私」にこだわるかぎり、その人は、真の自由を手に入れることはできない。たとえば
「私の財産」「私の名誉」「私の地位」「私の……」と。こういうものにこだわればこだわるほど、
体にクサリが巻きつく。実が重くなる。動けなくなる。

 「死の恐怖」は、まさに「喪失の恐怖」と言ってもよい。なぜ人が死をこわがるかといえば、そ
れは死によって、すべてのものを失うからである。

いくら、自由を求めても、死の前では、ひとたまりもない。死は人から、あらゆる自由をうばう。
この私とて、「私は自由だ!」といくら叫んでも、死を乗り越えて自由になることはできない。は
っきり言えば、死ぬのがこわい。

が、もし、失うものがないとしたら、どうだろうか。死をこわがるだろうか。たとえば無一文の人
は、どろぼうをこわがらない。もともと失うものがないからだ。

が、へたに財産があると、そうはいかない。外出しても、泥棒は入らないだろうか、ちゃんと戸
締りしただろうかと、そればかりが気になる。そして本当に泥棒が入ったりすると、失ったもの
に対して、怒りや悲しみを覚える。泥棒を憎んだりする。「死」もこれと同じように考えることはで
きないだろうか。つまり、もし私から「私」をとってしまえば、私がいないのだから、死をこわがら
なくてもすむ?

 そこでイエス・キリストの言葉を、この問題に重ねてみる。イエス・キリストは、「真理」と「自由」
を、明らかに対比させている。つまり真理を解くカギが、自由にあると言っている。言いかえる
と、真の自由を求めるのが、真理ということになる。

もっと言えば、真理が何であるか、その謎を解くカギが、実は「自由」にある。さらにもっと言え
ば、究極の自由を求めることが、真理に到達する道である。では、どうすればよいのか。

 一つのヒントとして、私はこんな経験をした。話を先に進める前に、その経験について書いた
原稿を、ここに転載する(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++++++

●無条件の愛

真の自由「無条件の愛」

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由
だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐
怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。

 しかし、それは可能なのか…?  その方法はあるのか…? 

 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自
分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカでは、花嫁の居住地で式をあげる習わしになってい
る。式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けて、クリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

 その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺
さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声
が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「日本人をやめる、ということか…」
息子「そう」
私「…いいだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえ
に、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には「無条件の愛」という言葉がある。私
が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が
抜けるほど軽くなったのを知った。

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身の回りの、ありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。

「私」があるから、死が怖い。が、「私」がなければ、死を怖がる理由などない。一文無しの人
は、泥棒を恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、おいでになりましたか。
では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私は死を克服したことに
なる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができるようになるかどうか
は、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてく
れた。

+++++++++++++++++

 問題は、いかにすれば、私から「私」をとるか、だ。それには、いろいろな攻め方がある。一つ
は、自分自身の限界を認める。一つは、とことん犠牲的になる。一つは、思索を深める。

(自分自身の限界)私たち人間とて、そして私自身とて、自然の一部にすぎない。自然を離れ
て、私たちは人間ではありえない。野に遊ぶ鳥や動物と、どこも違わない。違うはずもない。そ
ういう事実に、謙虚に耳を傾け、それに従うことが、自分自身の限界を認めることである。私た
ちは、自然を超えて、人間ではありえない。まさに自然の一部にすぎない。

(犠牲的である)犠牲的であるということは、所有意識、我欲、さらには人間が本来的にもって
いる、貪欲、ねたみ、闘争心、支配欲、物欲からの解放を意味する。要するに「私の……」とい
う意識からの決別ということになる。「私の財産」「私の名誉」「私の地位」など。「私の子ども」も
それに含まれる。

(思索を深める)「私」が、外に向かった意識であるとするなら、「己(おのれ)」は、中に向かっ
た意識ということになる。心という内面世界に向かった意識といってもよい。この己は、だれに
も奪えない。だれにも侵略されない。「私の世界」は、不安定で、不確実なものだが、「己の世
界」は、絶対的なものである。その己の世界を追求する。それが思索である。

 私から「私」をとるというのは、ひょっとしたら人生の最終目標かもしれない。今は「……しれな
い」というような、あいまいな言い方しかできないが、どうやらこのあたりに、真理の謎を解くカ
ギがあるような気がする。それは財宝探しにたとえて言うなら、もろもろの賢者が残してくれた
地図をたよりに、やっとその財宝があるらしい山を見つけたようなものだ。

財宝は、その先? いや、本当にその山のどこかに財宝が隠されているかどうかさえ、わから
ない。そこには、ひょっとしたら、ないかもしれない。「山」といっても広い。大きい。残念なこと
に、それ以上の手がかりは、今のところ、ない。

 今はこの程度しか書けないが、あのベートーベンも、こう言っている。『できるかぎり善を行
え。自由を愛せよ。たとえ王座の前でも、断じて、真理を裏切ってはならぬ』(「手記」)と。彼の
言葉を、ここに書いたことに重ねあわせてみても、私の言っていることは、それほどまちがって
はいないのではないかと思う。このつづきは、これからゆっくりと考えてみたい。
(02−12−15)

●「真理を燈火とし、真理をよりどころとせよ。ほかのものを、よりどころとするなかれ」(釈迦
「大般涅槃経」)。
(040505)



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